「Mr.トルネード~気象学で世界を救った男~」の運命(命盤)
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先日、NHKの番組で紹介されていた「藤田哲也 元シカゴ大学名誉教授」の人生を見ていて、紫微斗数では、どんな命盤の人なのだろうと思い、過去の出来事、時期、容姿、話し方などから出生時刻を推測し命盤を立ててみました。
番組を見ていて、話し上手の方で、聴衆を飽きさせない魅力が有り、最初「巨門星」の人かと思いましたが、この生年月日の日に「巨門星」で条件が当てはまる所が無かった。
しかし、三合派の解釈で「官禄宮」に「巨門星」ならば、研究者として苦労は多いが天職と成る可能性があった。藤田氏は自分の持論を絶対に曲げない所が有った。このような所は「天梁星」の特質でもあると言える。話し方にも独特のユーモアが有り聞いていて楽しいものであった、これは「天同星」が同宮の成せる技ではないかと思う。
当時の気象科学の世界では藤田氏の理論は激しく否定され、非常識者扱いにされていたことが番組で理解できた。流年運を観ても成果が認められるまでは、苦労の連続であったようだ。
また、友人は少なく生涯共に研究を一緒に行った科学者は少なかったが、親友のような科学者が最後まで寄り添っていた。
「紫微斗数闡秘(鮑黎明 著)」によると、このタイプ人は社交性よりも研究者向きで、最初は苦労するが、後に新しい学説や独自の研究・開発によって社会的名声を得るが、それは遅くに訪れるようです。研究の過程では様々な障害や邪魔に遭うことも多く、悩みも経験するようです。番組を見終わって、まったくその通りの人生を歩まれたと感じました。
命盤は良好に見える。私は職業柄、苦労、波乱の人生の方の命盤を見慣れているから、とても幸せの人の命盤に見えました。でも、自分のやりたいことに人生を貫き通したということは幸せであったと思います。好きなことには他人から観て苦労と観えても本人は、あまり不幸とは感じないものです。唯一「結婚運」は良くない傾向だが、生涯独身を通して研究に没頭したのでしょう。もし結婚していたら、これほど研究に没頭出来なかったかも知れません。
「Mr.トルネード~気象学で世界を救った男~」
(1920年10月23日生まれ)
“勇気”をもって世界を変えた知られざる日本人の姿に迫る新シリーズ「ブレイブ」。第一弾は、世界中の空の安全に貢献した日本人気象学者“Mr.トルネード”藤田哲也。
独学の論文がきっかけで渡米し、竜巻研究の先駆者となった藤田哲也。70年代に続発した航空機墜落事故の原因を未知の現象「ダウンバースト」と発表。しかし気象界からは批判殺到。10年もの論争を経て立証し、事故回避に大きく寄与した。この研究の原点には、長崎での原爆調査があった。そこで藤田が目にしたものとは?戦争という負の歴史を背負った日本とアメリカ。その両国に生きた藤田の人生の数々の数奇な巡り合わせに迫る。
【語り】本田貴子,【声】松尾まつお,千葉進歩,相沢まさき,桐井大介,中野慎太郎,飯島肇
(NHK 番組HPより)
略歴(年齢は満年齢)<ウィキペディアより>
1920年(申の年) : 福岡県企救郡曽根村(現在の北九州市小倉南区)に生まれる。
1939年(卯年19歳): 小倉中学校(現在の福岡県立小倉高等学校)を卒業。
実家は両親が夭折(早死)し経済的に苦労したようです。15~24歳の太限の財帛宮「凶運」
親は早く亡くなる象意は有りますが、この太限の父母宮「大吉」で貧困の藤田氏に学費免除で大学進学を推薦してくれた校長先生の働きが有ったということですね。
1943年(未年23歳): 明治専門学校(現在の九州工業大学)工学部を卒業すると同時に
<官禄=大吉> 同大学で助手、物理学助教授に就任する。
1945年(酉年25歳): 広島および長崎への原爆投下を受けて、それらの被害調査に派遣さ
<福徳=大凶> れる。
長崎に原爆投下後の数日後に現地調査に入り、人間の死体が折り重なって、しかも溶けて肉
体が窪地に流れだしているのを観て凄い衝撃だったようです。藤田氏は必死で写真を撮
り続けたようです。福徳宮が大凶の意味も理解出来ます。
1953年(巳年33歳): 東京大学で博士号を取得し、同年よりシカゴ大学の教授から招聘さ
<官禄=大吉・大吉> れ、渡米。同大学の気象学客員研究員となる。
やはり恵まれた運気に載って奇遇なチャンスを活かすことが出来たようです。
その奇遇のチャンスとはゴミ箱の中に捨てられていた資料だったのです。運が良かったと
しか言えないです。その資料が元でアメリカ渡航が実現するのです。
1965年(巳年45歳): シカゴ大学教授に就任する。
<遷移=大吉> <官禄=大凶>
アメリカへ渡り「ダウンバースト」の研究に没頭しますが、気象学者からは猛バッシングに遭い続けるのです。研究結果は長いこと認められなかったようです。唯一、仕事で悔しい時期と言えるでしょう。藤田氏は常に外に出向き気象観測に没頭していたようです。
1968年(申年48歳): アメリカ市民権を取得する。
1971年 (亥年51歳): 竜巻の規模を示す
Fujita-Pearson Tornado Scale (F-Scale) を考
<官禄=大凶> 案する。
この時期も仕事では苦労していた時期です。
1975年(卯年55歳): ジョン・F・ケネディ国際空港で発生した航空機事故の調査を行い、
<遷移=大吉> ダウンバーストの研究を本格化させる。
気象学界からは阻害されていましたが、航空会社からは研究に悲願の依頼が有りました。パ
イロット達からは、怪しい気象現象が有ると指摘されていたからです。
1976年(辰年56歳): ダウンバーストの存在を実証する。
<官禄=大吉>
1979年(未年59歳): ドップラー・レーダーによりダウンバーストが予測可能であることを立証する。
1991年(未年71歳): シカゴ大学名誉教授となる。勲二等瑞宝章を受章。
<官禄=大吉> <福徳=大吉>
1998年(寅年78歳): 糖尿病により自宅で永眠。享年78。
<疾疫=大凶>
以下に、藤田哲也教授の命盤を掲載します。時刻は推測です。
私の所に紫微斗数の鑑定依頼される方の、約1/4の方は出生時刻がハッキリしない方が居られますが、この記事のようにして時刻を推定して鑑定しています。
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