2014年11月3日月曜日

自分の寿命が分かってしまったなら、あなたはどう生きますか?

久し振りの投稿になります。
このBlogにも以前は、紫微斗数の鑑定のしくみなど投稿していましたが、最近はBlogを読んで戴く方を一般の方を対象にしようと思っています。
ですから、難しい理論は抜きにして記事を書きます。

今年も間もなく1年が過ぎようとしていますが、今年は親しくしていた人や、お世話になった家族同然の方などが何人も急逝致しました。
人の死、人生の終焉を身近に多く感じる年でもありました。

これまでも、未熟な紫微斗数の推命から人の死を論ずる記事も何回か投稿してきました。
鑑 定対象の方々は、芸能人やメディアに登場してきた方々の生年月日、そして出生時刻は過去の事象とその時期から推定した時刻で紫微斗数の命盤を立て、その 方々の人生の終焉の時を鑑定しました。その結果はかなりの確率で死期が符合することを感じました。しかし、出生時刻はあくまで推定でした。
だが、今年は出生時刻がはっきりしている身近の方々との突然の死に遭遇することも多い年でした。
その身近の方々の死を私も日が立つことによって受け入れられるようになり、改めて命盤を検証してみる気力も出てきました。
命盤の鑑定には、これまでは、同じ流派の流れを汲む飛星派の鑑定方法で診て来ましたが、最近は同じ飛星派という名称でも、四化の付く星にも違いがあり、巡ってくる時期を鑑定する「流年看法」に大きな違いがある新しい「飛星派」の流年看法を取り入れ検証してみました。

いろいろな流派の看法を使い、身近の知人、友人の人生を検証しました。
その結果、やはり人の人生の大筋は決まっていると確信せざるを得ないような結果を得てしまいました。しかも、急逝するような人は、その死期も決まっているのではと、個人的には思うようになりました。

この記事は一般の方を対象に書かせて頂いてますから、鑑定方法の詳細は記述しません。また、師匠より享受頂いた内容を、このようなBlogで披露する訳には参りません。

でも、その一部を語るなら、本命盤、太限(10年運)、太歳(1年運)、日運、これらを複合的に飛星しあって、「必ず起こる」という事を見出しました。
このことから、私は人の一生、特に長さ(寿命)は決まっていると思うようになりました。
「孟子」の書の中にも書かれている「立命」という意味がそれを語っています。
人の寿命は決まっていて、それは天が定めていて、人間にはどうしようも無いことであるのだ。
それを受入れ、定められた年数の中で人生をどのように送るのかが問題なのです。

大概の人は、自分の寿命が判ってしまえば、パニックになったり、落胆、失望してしまうでしょう。もしかして、自殺さえ考える人も居るでしょう。
それこそ、生きる意味を全く理解していないのではと思います。
短ければ短いなりに、どうしたら有意義に人生を全うできるか、中身の濃い生活を送ることを考えるべきです。短いなら、時間は無駄にできません。
そういう発想に誰もがなれたら、世界も社会も変わるでしょう。

生まれたばかりの赤ちゃんに、この子の寿命は・・・。なんて言うことは出来ませんけど、判ってそれを受け入れることが出来るなら、幸せな人生が短くても送れると、私は思います。

大概の人は寿命は判っても知りたくないと言います。いつ訪れるか判らない死期に怯えながら死を恐れ、「明日が有るさ」と気楽なことを言っています。
そして、死期がいよいよ近づいたなら、「あれもしておけば良かった、これも、もっと時間が欲しい、もっと長生きしたい」と泣き叫ぶのです。それは、自分の寿命を知らない愚かさから悔いる状態です。

あなたは、自分の寿命が後、何年?  判ったら、どう生きますか?


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