2019年5月30日木曜日

健康や病気のこと も 判るのが「疾厄宮」


健康や病気のこと判るのが「疾厄宮」

ここのところ忙しくなってしまって久々のblog更新です。
Skypeによる本格的レッスンが始まりまして1週間ほどが過ぎました。
すでに紫微斗数の知識をお持ちの方もいらっしゃいますし、占いの知識はまったく無しという方もいらっしゃいます。

今回のレッスンは、もともと占いの知識ゼロの人を対象にしていますから、逆に何も知らない人の方が、全てをすんなりと受け入れられて良いのかも知れません。

ある程度、紫微斗数の知識の有る方は、驚かれることも少なくありません。
例えば、「疾厄宮」は、世間では一生の「病気を観る宮」と思われています。

確かに「病気を観る宮」に間違いはありませんが、本当は他の意味の方が強い宮と思ってもよいのです。

「疾厄宮」の本当の意味は、人生そのものを表す重要な宮です。その一部に「病気も」観ることが出来るということです。
紫微斗数の最高峰の「欽天四化」では「疾厄宮」は命宮と見ています。
その意味を知ることによって旧来の紫微斗数の解釈が大きく変わります。

疾厄宮のほかに、「子女宮」や「福徳宮」の意味も、これまで永いこと教えられて来た解釈では、とうてい判断出来なかった様々なことをお伝えしています。

紫微斗数の命盤の12の宮の「本当の意味」を知ることによって、人生の様々な問題に向き合えるようになります。

そして、全くの占いの知識の無い状態から、6回のレッスンで日本でも最高峰の田中宏明先生の「欽天四化」紫微斗数を学ぶための知識が身に付けられます。
「欽天四化」の紫微斗数は大学院並みの高等な理論を理解しなければ成りませんが、その高度な理論を学ぶための入門講座という位置づけです。


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2019年5月14日火曜日

運を 良くする相手・悪くする相手


運を 良くする相手・悪くする相手

本日のテーマは
運を良くしてくれる相手と、悪くしてしまう相手について述べてみます。

もちろん占い的な理論の考察も入っていますが、直感で良い相手、悪い相手の感じ方をお伝えしたいと思います。
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第一印象で観る場合
人相的な考察ですが、美人とかイケメンってまったく関係ないので、ここはしっかり肝に命じておいてください。
第一印象で大切にすることは、穏やかさを感じることが出来るかどうか?
優しさとは違いますから注意です。ちなみにメッチャ優しいかったのに、別人になったということが在りますから、優しさって演技で出来てしまうのです。
「穏やかさ」って云うのは、一緒に居たり、傍に居るだけで癒されるような相手です。
何も言葉は話さなくてもマッタリできる相手は、まずは大丈夫と思います。
つまり気を遣わなくても居られる相手です。
慣れてしまうと空気みたいな存在になるかも知れません。

恋愛などで、大好きなタイプって、惚れた側が意外と気を使っていることが多いです。嫌われはしないかってね。そんな気遣いをする相手は良い相手では無いです。
だからといって貴女が相手を無神経に馬鹿にしたり、馴れ馴れしくし過ぎるようでは、相手から見た貴女は運を悪くする人になってしまいます。
燃えるような恋心にさせる相手は、たいがい悪い関係の相手です。

馴れ馴れしく出来ても、いつも「一目置ける」相手は良い相手と思います。
その「一目置く」というのが、目に見えませんが良いオーラを発生するのです。

では、運を悪くする相手とは?
人相的には、というより表情ですね。
ここは具体的に書くと、何かと問題もあるので避けますが、悲しみが漂っている人とか、悲壮感が充満している人は、人生が相当に悲壮に満ちています。
面白いことに、この悲壮感って金銭財産、物質的に恵まれていても満たされないものが在る時に漂っています。
いわゆる紫微斗数で云う「福徳宮」の状態が漂っているのです。
顔の表情って「人相学」ってあるくらいだから、顔の人相は運命に影響します。その逆もありです。運命が好転すると良い人相に成りますし、悪くなると人相も悲壮的な顔に成って行きます。

辛いことがあっても楽観的に成れる人は人相も明るく成るので、結果的に幸せに成って行きます。
自分は美人じゃないから運が悪い、という女性が居ますが、大間違いであります。
そもそも美人かどうかで、仕事なども評価する人たちが、貴女にとって運を悪くする集団と思ってください。そういう集団とは出来るだけ早く離れた方が賢明です。
顔の事をとやかく言って批判する人は不幸の人ですから、付き合ったりするのはもってのほかです。
そんな人に一生懸命好かれよう、気に入られようとする貴女は、どんどん奈落に落ちて行きます。

運を悪くする相手の特徴をさらにあげれば
貴女に何かにつけて批判的な人です。何か有ればすぐに文句を言う人。
貴女の良い面を一つも評価しない人、欠点ばかり見付けてダメ出しをする人。
これって、親子でも有りですからね。
このような親はあなたの運を悪くしていきます。

一緒に居て何故か疲れてしまう人。放って置けない人。常に囚われてしまう人も貴女を消耗させます。

貴女が尽くすタイプの人ならば、囚われる相手にエネルギーを吸い取られる関係に成ります。
参考にしてみてください。


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2019年5月11日土曜日

《もう少し詳しく解説していただけないでしょうか?》


《もう少し詳しく解説していただけないでしょうか?》

いつも、ブログを拝読させていただいています。
前回のブログ記事の最後の方の
https://ameblo.jp/miya-ritumei/entry-12459997558.html

<あいつは本当に怠け者になった、大したもんだ、素晴らしい」って、本当は言いたいのですよ。あなたのことを「怠け者」っていう人は、あなたに怠け者になって欲しいのです>
の部分がよく理解できなかったので、もう少し詳しく解説していただけないでしょうか?
《エリンギさん》

■何故、「あいつは怠け者だ」って断定的に言う事が、怠け者を望んでいるのか? これはちょっと極論かも知れませんが。
自分の子供が可愛くてしょうがないお母さんも多い訳ですが、そういう可愛いわが子が、もし思うように学校にも行けなかったり、勉強も思うように出来なかった時に、どんな言葉を掛けるでしょうか?
間違っても「お前は出来が悪いねえ」とか、「どうしようもないねえ」なんて言わないでしょう?
そういう言葉って、見捨てるような時に言う言葉ですよね。

本当にわが子が可愛かったら頑張って欲しいですよね。
何とか支えてあげたいと思いますよね。
だから、「頑張ってね」って声を掛けると思います。
たとえ思うように成果が出ていなくても「頑張って」って声掛けすると思います。

「お前は怠け者だよ」なんていう言葉は冷たいですね。
人は本当の事情なんて何も知らないくせに、少しの情報で断定的に切り捨てるようなことを言います。

精神的に強い人は、そのような批判的なことを言われても、気にしないで我が道を進めます。
でも、常に周囲のことを気にしなきゃ成らないように、育ってしまった人は、一生懸命努力していても、「あいつは怠け者だ」と言われるとガーンと衝撃が走ります。
「私は一生懸命努力しているつもりだったけれど、努力が足りないのだ」と思い込んで、周囲の評価に常にビクビクしながら、へとへとに成るまで頑張ってしまうのです。
そして最後には「私は駄目人間なんだ」と自分でレッテルを貼ってしまいます。
酷い場合には「自分は生きている価値が無い」、「生きていては皆の迷惑になる」とか、「死んでしまえばいい」なんていう自己否定まで始まってしまいます。

こんなタイプの人に多いのが、紫微斗数では「遷移宮」に【化忌】や【化科】の人や、あるいは「命宮」や「福徳宮」に【化科】や【化忌】。
もちろん他に似た傾向が有る人もそうです。
【来因宮】が「遷移宮」の人も、そのような傾向が観られます。
ただし、これらの人でも【化権】の星の作用が期待できる宮に在れば何とか強さが出てきます。

冷たい言葉や、批判的な言葉など言う人のことは、無視するが一番です。本当に自分の為に親身に成ってくれる人は、そのようなものの、言い方はしないものです。


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2019年5月8日水曜日

怠け者と云われ続けて


怠け者と云われ続けて

私は幼少期からダメ人間でありました。
いや、自分ではそう思っていませんでしたけどね。

「ダメ人間」というのは私のことを良く知らない人が言う言葉です。
あるいは、ダメ人間という人にとって、私の価値観がまったく理解できない連中の言う事なのです。

みなさんの中に「ダメ人間」とか「怠けもの」ってレッテルを張られている人は居ませんか?

もし、その唯識(ゆいしき)呼ばれ方に「そのとおり」と思っている方は、それは仕方ないとして、そうではないとカチンとくる方は、これから述べることを読んでください。

    唯識(ゆいしき)=仏教で、一切の事物・事象は心の本体である識(色)の作用によって現し出されたもので、外界に実在するものではないとする考え方。

私は小学校や中学校でも学校の成績はパッとしませんでした。
もちろん、高校に入学するのだってヤバイ状態でした。
私自身は、高校進学は無理だなって半分諦めていました。
ですから、高校進学は諦めて中卒で就職を考えていました。

その当時は中卒でも就職先は有りました。
でも、家族も周囲も高校に行かないのは見っともないと、世間体が悪いと、お前はそれで良いかも知れないが、家族は恥ずかしくて困る。だから私学でも何でもいいから「高校」という名前の処に、とにかく行け! という事でありました。

仕方なく滑り止めに、誰でも行ける学校に一応入学試験を受けに行きました。もちろん滑り止めの学校は合格です。その代わり高額の入学金を試験前に収める必要がありました。
ということは、零点でも入学できるということですね。
だったら、面倒くさい入学試験なんて無しで、よいのにって思いました。

まあ、それはどっちでもよいですが、滑り止めをして置いたけれど、なんと奇跡的に公立高校の電気科に入学出来ました。
まさに奇跡です。でも卒業が今度は大変でしたけれど。
でもまあ、何とか難産でしたが高校を出ることが出来ました。

そうして、社会人になって最初の就職先の会社が1年ほどで、オイルショックでヤバく成り、二度目の会社も6年ほどで倒産の憂き目。
生意気にその後、自営を始めました。でもなかなか収入が無くて、もう結婚していたので、何が何でも生活費を稼がなければ成りませんから、朝の3時起きして卸売市場の漬物問屋に早朝勤務しました。勤務は4時からお昼までです。
その後、家に帰ってきて自営の仕事です。

漬物問屋では気に入られて、数件のスーパーマーケットの漬物売り場を任されました。
売り場に自分の好きな商品を並べて、売れ筋を見ながら商品を入れ替えたりして売り上げ向上を目指します。
これは楽しかったです。元々、電子工学を目指していた私ですが、漬物の販売に生き甲斐を見出してしまいました。

「官禄宮」に【化忌】の私ですから、ここでも仕事にハマってしまいました。お昼で勤務を終えても、帰りがけに数件のスーパーマーケットの自分の担当売り場の様子を見て帰るのです。
なんと素晴らしい模範的な社員でしょう!

売り場の様子を見に寄って、商品の売り切れ欠品が出そうになっていたら、家に帰らず会社に戻って、補充する商品をお店に並べて帰るという、まあ何という素晴らしい社員でしょうか。

そんなですから、専務からの評価は最高です。
でも、こういうことは職場の同僚に恵まれないと駄目であります。
上司だけに恵まれてもダメであります。
その理由は同僚から妬まれるかも知れないからです。

そうこうしていると自営の仕事も忙しく成り、漬物屋から戻ってくる私を、首を長~くして待っている奥さんが、「あんた、仕事が朝からいっぱい入っているから、気が気じゃなかったよ」と焦りまくっていました。

漬物屋に3時起きして行って、帰ってきて休む暇もなく、今度は自分の仕事で夜遅くまで走り回るという過酷な状況になってしまいました。

で、仕方なく泣く泣く漬物屋の専務に事情を話し、退職させて戴きました。
専務は「もし自営が暇に成ったら、また来てくれよな」って言われて涙が出てしまいました。
だって、「お前はダメ人間、怠け者」って言われ続けてきたのですからね。
褒められたり、期待されたのですから、嬉し涙も出ます。

そうこうして自営の仕事も忙しく成ったり、暇に成ったりして、仕事の内容もいろいろ変わりました。
暇な時は、薄利の仕事でも時間を多く働き、忙しい時は深夜の2時ぐらいまで働きました。
そうこうして自営は20年間続きました。
で、最後に倒産でしたけど。

でも周囲の人々からは「よく仕事の変わる人だよ」、「意気地のない人だよ」、「根性が足りない人だよ」、「怠けもんだよ」ってよく言われ続けました。

こんなことを繰り返しながら、本日まで生きてきました。
そこで、結論です。

人の言う事なんで屁でもぶっかけろ!
っていう事です。

そんな連中に評価されたって屁の足しにもならない。

周囲の人間が屁でもない評価をしていても、見てくれている人は、ちゃんと見ているんです。
ちゃんと見てくれている人からは仕事も来るし、紹介もしてくれるんです。

自分の事を悪評する人は、自分の敵だと思ってください。
そんな連中に評価されるためには、本当の「怠けもの」に成った時です。
「あいつは本当に怠け者になった、大したもんだ、素晴らしい」って、本当は言いたいんですよ。
あなたのことを「怠け者」っていう人は、あなたに怠け者になって欲しいのです。

分かりましたか?
ここを間違えては駄目であります。


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2019年5月7日火曜日


「仕事運が悪いのだけれど」というご相談でご注意

ご相談に訪れる傾向で面白いことがあります。
一定期間に同じ相談内容が続きます。同じ名字や名前の方が続きます。家族構成が同じだったりします。
実にややこしいであります。

これって面白いですよね。科学的に考えるのならばランダムになる筈ですが。
この仕事をしていてランダムってあまりありません。常に団子のように同じことが連なります。だから科学的ってあまり当てになりません。
スピリチュアル的に云えば「引き寄せ効果」かなってね。
ご相談依頼も来始めるとバタバタ土石流の如く忙しく成ります。
慌てんぼの私はてんてこ舞いでミスを起こしやすく成ります。鑑定受付を忘れてしまったり、取り違えたりしてダメであります。
そして、来なくなるとピタッと止まります。変ですよね?

さて、この「引き寄せ効果」ですが、そんなこと有り得ないと否定する科学万能的(?)な人も居ますが、それはどっちでもよいであります。

今回のテーマは「同じ相談が続く」です。
そうです。ここのところは、仕事の悩みが続きました。
いやいやテーマは仕事でしたね。
まったくダメであります。

GW症候群」も発症する時期ですからね。
その他に同じ名字や名前も続き、私としては間違えたり、ごっちゃ混ぜにならないように細心の注意を払っています。

さてさて、仕事の悩みですが、「私にはどんな仕事が向いて居ますか?」っていうご相談が続きました。

でも、命盤を分析してみたり、お話を伺うと仕事の適不適よりも、職場の対人関係が本当の問題だったというケースが、今回は圧倒的に多かったです。

確かに巡る大限(10年ごとの運勢)や一年運などで仕事運も悪いです。しかしそれは結果であって、本当の理由は「対人関係の運の悪い時」でした。さらには、そういう事で精神的に疲弊して「精神面での凶運」にもなっていました。

鑑定相談では、単なる運の吉凶では軽く片付けられてしまって、「転職した方がいいですね」なんて言われて転職しても、少しの間は良いけれど、またしばらくすると同じ問題が起こる運勢になっていたりします。
これって確かに運が悪いということだけれど、でも運を悪くしている運勢なのです。ややこしい言い方をしましたが、要は運勢には原因が有ることを見抜けていないだけの話です。
だから、単純に吉凶云々では解決が出来ないのです。
巡る運勢の吉凶を調べて一喜一憂していたら、一生涯を運勢に振り回されて終わってしまいます。

多くの「仕事運」のご相談で観えて来ることは、対人関係も多いと云う事です。その結果で仕事も旨く行っていないということです。

職場の対人関係が悪ければ、仕事も集中できないでしょうし、ミスも起こしやすく成ります。自分の持って居る能力を100%発揮できません。些細なミスを犯せば「それ見た事か」とバッシングされれば益々ミスの連発に繋がってしまうかも知れません。

こんな職場では仕事をする前からビクビクしてしまってダメであります。
「仕事が旨く行かない、俺は仕事が合っていないのかな」って思い始めたら」今一度、周囲の環境から見直してみましょう。

そうしないと駄目であります。



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2019年5月5日日曜日

自分では適職と思ったが・・・


自分では適職と思ったが・・・

自分には、何が向いているのか?
私は小さい頃から夢があった。
その夢は自分に向いていることと思っていた。

初めて目指したいものを感じたのは中学生の時だった。
家に初めてのトランジスタラジオが仲間入りした。
それまで家のラジオの主役は真空管式の「超再生式」と云われる戦中から使われていたラジオだ。真空管式のラジオは電源スイッチを入れてから音が出るまでに数分と思われるくらいに時間が掛かる。まるで今でのパソコンと一緒だ。

平成生まれの方々には想像も出来ない事と思う。
そもそも「真空管」って何?
「超再生式」って何?
もしかして、「トランジスタ」って知らない?
そんな時代遅れのわが家に、手の平サイズの小箱のラジオが仲間入りだ、スイッチを入れればすぐ音が出る。しかもコンセントも不要で畑にも持って行かれる優れもののラジオに、私は物凄く興味を魅かれた。

幼少期から不思議な物の中を覗いてみたい私は、密かにラジオの裏ブタを小さなネジ回しを使って開けてみた。
真空管など一本も使われていない、その代わりに米粒ほどの部品がプラスチック(プリント基板)の板にいっぱいに挿され取り付いていた。

その時以来、私は目に見えない電子や電波に魅かれて行ったのだ。
中学校を卒業すると地元の高等学校の電気科へ進んだ。
元々アスペルガーであった私は、好きな電気科目は満点に近い成績を上げたがそれ以外は零点に近い。
学年の単位を何度も落第してやっと卒業した時には、地元の電機関係の会社のサービス課に入社した。
以来、ずっと40歳代になるまで、電機、電子、コンピューター系の仕事に就いてきた。
その仕事が自分に一番向いていると思ったし、三度の飯よりも好きだったからだ。

しかし、世の中にレーザーディスクやデジタル製品が出始めると問題が出始めた。
パソコンのソフトウェアの部分は理解できるが、ハード系(電子回路など)は徐々に難しくなっていった。
電子機器のメンテナンスや修理が主な仕事だったので、技術的に追いつけなくなると致命的だったのだ。
若手の技術者にどんどん追い抜かれるようになって、自分には頭脳が足りないと初めて自覚し、電子機器の畑から撤退したのだ。

その後、商売にも挑戦したがことごとく敗退した。
負債を抱えて事実上倒産。

結婚生活20年に終止符を打って離婚し、無一文からの再出発は、20年ぶりの会社勤務だった。
この会社勤務は物凄く好調で、そこそこの地位まで上り詰めたが、10年ほど経過したところで思わぬ出来事が起こり、再び奈落へと落ちた。
しかし、この会社勤務10年の期間までは体力もあって自信にも満ちていた。


離婚して家族を失い財産も失ったときの寂しさから、楽器(オカリナ)を独学で覚えて演奏したら、以外にも好評であちらこちらから、祭りやイベントでの演奏の依頼が舞い込んで、この期間には1時間の演奏で2万円ほど稼げた。これもまた大きな副収入となり潤った。楽器店の教室講師にもなった。
毎日多忙で充実した日々を送ったのだ。

私は有頂天になり、演奏家として此の先の人生を歩もうかと真剣になって取り組み始めた。そうして機材も揃えて投資した。
そうこうして絶好調と成ろうとした頃に、これまた突然に両手の指先が曲がる、原因不明の「へバーデン変形結節症」になったのだ。治療法の無いこの病気は指先の変形が終わるまでは激痛との戦いとなった。両手の10本の指先の激痛が収まるのに数年間を要した。もう演奏は出来ないと演奏家の道を諦めたのだ。数年後に指先の変形が収まった時には、醜く曲がった両手が残った。何かの祟りかなとも思った。

この両手の障害には本当に悔しくて、日々の生活も自棄になって行った。
ここまで積み上げた成果を、想定外の出来事で諦めなければ成らない事に自暴自棄になってしまったのだ。
それからは自堕落な人生を歩み奈落に落ちて行った。
そして、そこそこ上り詰めた会社も首に成ったのだ。

でも絶好調の期間は、体力にも自信があったので、スキューバダイビングやモトクロバイクや自動車ラリーなどで危険なことにも挑戦していた。
今思えば、何てまったく向いて居ない事に挑戦していたのだろうと思う。
何度か死を意識するような危険な目に遭ったのに助かったのは、今生きている必要があったから、生かされたのだろうと思う。

大型バスの運転の仕事や大型トラック運送の仕事、宅配の仕事など体力に自信が無ければ大変なのに、そういう仕事も当時は向いていると思っていた。
初めての場所にも迷うことなく行けたし、大型バスの運転もスイスイ出来たので、自分には才能があると勘違いした。
これら絶好調は吉運の賜物と、今ではつくづく思う。

10年間の奈落を経験した後には知人の勧めで知的障害支援施設での支援員の仕事を経験し、最後は老人介護施設で介護福祉士の仕事を経て、現在の占いの仕事に就いたのだ。
そもそも知的支援も介護支援も自分には向いて居ないと思ったが、周囲が適職だ、というので仕方なくやった感が強い。
「優しい」という部分だけを見て、人は判断したのだろう。

実際には、私にとって人生で一番きつい仕事だった。
介護や支援の仕事は、肉体的にも辛いし、ストレスも多かったし、職場のパワハラの対象にもなった。へバーデン変形結節症も過労から再発した。
もう無理は出来ない身体になっていた。
元々、生まれ持った健康運は最悪なのに吉運の時に良いと勘違いしていたのだ。知らないとは恐ろしい事だ。

現在の占術の世界に入って、つくづく思う事は、自分は何て向いて居ない仕事ばかりいっぱいやって来たのだろう、と云う事だった。

だが、多くの経験を積む上では最高の人生だったと最近になって実感している。金を出しても出来ない多くの経験をさせて貰った。

これらの多くの経験は仕事の面ばかりではない、プライベートな生活面でも様々な裏街道を歩いた、後ろ指差される人生でもあった。
しかし、後ろ指差される人生も、まともに人生を歩んでいる人には体験できない事なのだ。
それも多く体験できたことは、本当に私は幸せなのだ。
これから、その多くの体験を活かせられるステージを用意して戴いたと感じている。

人生って終盤に成って見ないと、本当の事は判らないものだ。
終わりに良いと思えたら最高の人生だったのだ。
それが最後の1年でも。


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2019年5月3日金曜日

コチコチ音の正体


コチコチ音の正体

私は三~四歳ぐらいの頃の記憶が、70歳にもなろうという今でも、ビデオ映像のように鮮明に覚えている。

私が小さい頃、家に初めて目覚まし時計というものが仲間入りした。

その目覚まし時計は、お爺さんが街の時計屋さんから日露戦争の軍人恩給で買って来たのだ。
文字盤は夜中に緑色で光り、頭に二個の金色のベルが付いている。薄緑色の金属のボディーは丸くて、二個の金色の足も付いていた。
ボディーの左右には腰にあてた腕のような取っ手が付いて、まるで胸を張った小さな人みたいにも見えた。
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その目覚まし時計は家族の仲間入りをすると、家族みんなからとても注目されるようになった。何しろ目覚まし時計なんて家族誰も初めて見る物だから。

幼少期から不思議な物が大好きな私は、その可愛い目覚まし時計が気になって仕方が無かった。いつも「コチコチ」と音を立てていて、見るたびに髭のような針の位置が変わっている。
手に持ってみると、ずっしりと重くて、冷たいボディー、それなのに絶え間なく「コチコチ」と内部から聞こえてくる不思議な音に、それは何か生き物みたいに思えた。

そんな目覚まし時計に私は虜になってしまい、目覚まし時計を毎日じっと眺めていた。

それから数日後、ついに私の好奇心が限界に達してしまった。
目覚まし時計の後ろ側に小さなネジが幾つも有ることに気付いたのだ。
お爺さんの小引き出しに小さなネジ回しが入っているのを知っていた私は、そのネジ回しを時計の裏のネジに当ててみるとネジが回ることに気付いた。
今思えば、三歳ほどの私がネジ回しを使えるのは不思議なのだが、日ごろお爺さんがネジ回しで小さなものを修理しているのを見ていたので、多分それで覚えたのだろう。
その頃から変わり者の子供だったのだろう。

幾本かのネジを緩めると後ろのカバーが外せることに気付いた私は、ネジ回しと時計を持って家から少し離れた田んぼの端に行った。小さいながらも時計を分解することは悪い事と分かって居たのかも知れない。

その日は、お爺さん以外は誰も居なかったけれど、お爺さんの見ていない隙に、そっと家を抜け出した。
田舎の農家だから、家の縁側や玄関には鍵など付いて居ない。
いつでも開けっ放し、家は庭も広いし近所には家も無い、周囲は田んぼばかりの所だ。

密かに田んぼの畔のところで座り込んで、目覚まし時計の後ろのカバーを外した。
時計の内部に不思議な部品がぎっしり詰まって動いている。
クルクル早く回っている部品もあれば、じっとして全く動かない部品もある。
そんな中に「カックン、カックン」と動いている小さな部品を見付けた、その部品の処から「カチカチ」と音が聴こえてくるのだ。
それは、それは不思議な物だった。私はワクワクした。
きっと目がとても輝いていたのだろう。

更に見えているネジを緩め始めると、次々と時計の部品が外れていった。その内に突然に内部の部品が「バシッ」と音を立てて飛び散ったのだ。その勢いで指先に痛みも走った。怪我はしなかったが怖かった。
動力源となっているゼンマイが外れて飛び出したのだ。その勢いで様々な歯車や細かい部品が飛び散った。

時計を元通りに出来るかは気に成らなくて、分解し始めると夢中になってしまっていたのだ。
一気に飛び散ってバラバラになった目覚まし時計を見て、私は我に返った。

「コチコチ」音は止まっていた。
私によって分解されて死んでしまったのだ。そう思った。
目覚まし時計は生きていたから、「コチコチ」と時を刻む音がしていたけど、分解されてしまうと「コチコチ」音を止めてしまうのだ。

もう元通りには出来ない。
朝顔のツルのようなゼンマイと無数の歯車と、複雑な形の板の部品の山。
もう元通りには出来ない、どうしよう、困った。
困り果てた私は、部品を紙袋に全部入れて、土の中に埋めた。

家にこっそり戻って何もなかったかのようにしていた私は、家族が家に帰ってくることにビクビクしていた。

しかし、夕飯の時も誰も目覚まし時計が居なくなったことに気付かない。
夕飯が済んで一段落した時に、目覚まし時計が無くなっていることに誰かが気付いた。

家族みんなであちらこちらを探し回った。
きっと何処かに仕舞忘れたのではないかと云うことに成り、私は安堵したのだ。
目覚まし時計が居なくなって数日が過ぎた。

そうしたら、お爺さんがまた新しい目覚まし時計を買ってきた。
それから数日後に二代目の目覚まし時計も再び姿を消した。

今度は、何処かに仕舞忘れたでは済まなくなっていた。
姉と三人の兄と両親、それにお爺さん全員が、二台の目覚まし時計の失踪について議論が始まった。
議論の内容は小さな私には分からなかったが、最終的に家族全員の視線が私に向けられていた。

兄や親父が怖い顔をして私に詰め寄って来た。
私はじっと沈黙を守っていたが、優しいお爺さんが、いつものように優しく「孝宏お爺さんを時計の処に連れて行っておくれ」と言った。私は黙って立ち上がり家の外に歩き始めた。家族全員がお爺さんを先頭に付いて来た。
もう、夜も遅い時間だったような記憶がある。
真っ暗な田んぼ道を、みんなで懐中電灯の明かりを照らしながら、しばらく歩いた。
私が立ち止まった畔には土を掘り起こした跡があり、そこを掘るように親父が怒鳴った。

私が掘り起こすと、紙袋に入った目覚まし時計二つ、土の中から出て来たのだ。
二枚の文字盤で時計が二つということが分かった。

私は酷い目に遭わされると思い、消沈しきって家に戻ってみると、お爺さんが私を褒め始めた。
こんなに幼いのに、目覚まし時計を二つもバラバラに分解できたのは凄い事だと、これは将来大物に成るぞ、という訳だ。
そのお爺さんの一言で家族は黙ってしまった。
親父いわく、「孝宏が、ここ数日に金色の小さな歯車を、コマのようにして遊んでいるのが変だと思った」と言った。
親父はまさか、私が目覚まし時計をバラバラにするとは思わなかったようだ。それ以降に家からネジ回しの類は姿を消した。何処か目に付かない処に隠された。玩具も買って貰えなくなった。どうせ分解するだろうと云う事だった。

以来、私はお爺さんが一番信頼できる人に成った。
そしてお爺さん子になっていったのだ。
ネグレクトの親父や、いつも知らない間に何処かに行って姿を消す母親よりも安心できる家族だった。


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宮立命ブログは引っ越しをします。

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