武曲星の人の福徳宮には、何故「破軍星」が入るのか?
私は、占いの世界に入った時から、何故か「紫微斗数」一筋であった。これは多分、初めて命術を知ったのが偶然にも「紫微斗数」であったのと、プロの占いの先生、つまり師匠に就いた時に、「いろいろな占術をたくさん覚えるよりも紫微斗数なら、紫微斗数一つを深く追求した方がいい」とおっしゃって戴いたのも多分に影響していると思う。
なぜ、最初の師匠がそのように私に言われたのかは理由は解らない。
紫微斗数を学び始めて周囲を見渡せば、ほとんどの人が「四柱推命」も学んでいた。あるいは気学や、その他の種類の占術を複数学んでいる人が普通であった。
そんな環境で、私も「四柱推命」に首を突っ込んだが、書籍によって内容に違いが有り、何が何だか判らなくなり、相当に費用を投資したが潔く辞めた。
気学も一通りやったが、イマイチ鋭さが足りない。
結局、紫微斗数を複数の師匠から学んで、この道に入ったのだ。
紫微斗数一筋でやっていると、ただ鑑定しているだけでは物足りなくなり、命盤に散りばめられる星々の配列にはキチンとした意味が有るのだろうと思うようになった。
もっとも、命盤を作成する時には、生年月日、出生時刻から導き出すキチンとしたルール法則が有る。それは分かっているのだが、では何故「命宮」に武曲星の入る人は「福徳宮」に破軍星が配置されるようにルールが出来ているのだろう?
いや、他のすべての星々が一つ残らず決まった法則の元に命盤に配置されるのは当たり前のことである。しかし、その決まった配置に成る、さらに言えば、決まった配置に成るようルールを決めた理由は、一体何を根拠にしているのだろう? という誰も考えもしない事が不思議でたまらなくなったのだ。
そのことを、ずっと考えて占いの仕事を続けて来た結果、全ての命盤には、生年月日、出生時刻から導き出される、命盤全体への星の配置には、キチンとした理由と意味が有って配置されるようにルールが決められているのだということに何となく気付いたのだ。
従って、命宮に「武曲星」の人は、「破軍星」が福徳宮に入るちゃんとした理由が有るということが最近になって理解出来るように成った。これは「武曲星」に限らず、命宮に入る「14主星」すべてに、ちゃんとした理由から12宮への星の配置が決められているということだ。
言い換えれば、12の宮に入る全ての星は、物凄く考え抜かれた結果、出来上がったルールに則り理由を持って配置されるように、命盤作成手順が完成したと思う。
ちょっと人間業とは思えない仕組みだけれど、古代の人間か、あるいは人間以外の知的なものか、いずれ何者かが完成させた手順である。古代中国の陳希夷が紫微斗数の創始者とされているが、本当の所は確かでない。
地球上の古代の巨大文明のほとんどが、現代人の人力では不可能な物ばかりである。
つまり、現代人には、古代人のような能力は無いということなのか、あるいは古代人に手伝った、現代人には無い能力の何者かが手伝ったのかも知れない。
話を戻そう、武曲星の人の「福徳宮」に破軍星が有ることに何故に拘るのかというと、別に武曲星の人である必要は無いのである。
たまたま、武曲星の人を例に挙げただけだ、武曲星の人は余程に命盤が悪くない限り、財運に恵まれる人が多い。プライドも高いし、気も強い。仕事というものは趣味とは違う、という基本的な考え方も有る。言い換えれば武曲の人は、趣味人の人は少ない。どちらかと言えば「仕事人間」だ。そして群れることを基本的に好まない。群れてる振りはするが、内心は孤高の人である。
「福徳宮」に破軍星が有る人は、一般に「のんびりすることが苦手である」、「そんな事は無い、温泉旅行にも行ってのんびりしているではないか!」という声も聴こえては来る。
それは、旅行などして忙しくしてるだけなのだ。仮に、何も用事が無い休日に、家で一日寝っ転がって煎餅でもバリバリ食いながらテレビを観て居られるか? 多分、無理であろう。
そんな事して一日過ごしたら、凄いストレスが溜まるのではあるまいか。
「のんびり出来ない」のは、武曲星の性格の持ってる所以である。
「福徳宮」に破軍が入ると、武曲星の人のように金銭財、物質に満たされても、それでも物足りないのである。あまり、このような事を書くと、武曲の人から怒鳴られそうなので、この辺で止めておくが、言いたいことは、幾ら金銭、財、物質に満たされても、心(魂)は満たされない星の人も居るんですよ。ということが言いたかったのです。
また、機会をみて、別の主星が命宮に入る人も話題にしてみます。
武曲星のお方よ、お許しくだされ。
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