紫微斗数で観る「試練」とは?
鑑定、相談を依頼されて来られる方の「試練(問題)」の本質を、私はこれまで「紫微斗数」で鑑定してきました。
その鑑定結果には以下の様な命盤の特徴が必ずや有ります。
① 仕事が旨くいかない、どんな仕事に就いても長続きしない。失敗、嫌な事をやらされる。辛い。仕事の成果が出なくて降格や左遷させられた。
▲鑑定結果=本官禄宮・太限・流年の仕事運などが悪い。
② いつも金欠病で困っている。収入も少ないが、ケチケチ貯めてはいるが、ある時パッと使ってしまう。収入は多い方で大金が入っても出費も多く知らずに無くなってしまう。金銭の貸し借りが多く損をする。予想外の出費に悩まされる。
▲鑑定結果=本財帛宮・太限・流年などの金運が悪い。
③ 対人関係の悩み。初対面の人から何故か距離を取られる。人に会うのが嫌い。外に出るのも億劫う。
▲鑑定結果=本遷移宮などが悪い。
④ 対人関係、最初は良いのに、親しくなってプライベートな付き合いに成ると、何故か気まずい事が起こりやすい。結局、親しい付き合いは長続きせず、親友は少ない。
恋愛や結婚生活でも同じような事が起こる。
▲鑑定結果=本兄弟宮(夫妻宮)・太限・流年などの「兄弟宮」あるいは「夫妻宮」が凶。
⑤ 初めての所や出張では良い成績や結果が得られるのに、そこに勤務が始まると、周囲の同僚と旨く行かなく成り転勤や転職が多い。
▲鑑定結果=本遷移宮は良いけれど、本奴僕宮・太限・流年の官禄宮や奴僕宮が悪い。
⑥ 同僚や親友とは旨くやって居られるのに、上司には良く思われない。
上司との相性問題が顕著に現れ、上司が変わる度に仕事上の吉凶が強い。
▲鑑定結果=本父母宮が悪い。太限や流年の「父母宮、官禄宮」が悪い。
⑦ 方向音痴、自動車の運転などで軽い物損は年中有る。怪我や外出時のミスも多い。
初対面の人と会うのは苦手、気遣いし疲れる。
▲鑑定結果=本遷移宮に問題有り。太限・流年などの遷移宮や疾厄宮に問題。
⑧ よく原因が解らないが、精神的に不安定に成る。原因不明な鬱傾向になる。財運良好、仕事運も良好なのに、何故かいつも満たされない、落ち着かない、独りで居ると不安、怖い。常に友人などと一緒に居ないと寂しくなる。
▲鑑定結果=本福徳宮が破格だったり、悪い。太限・流年の福徳宮に問題。
⑨ いつも健康問題を抱えている。無理が利かない。疲れる。
▲鑑定結果=本疾厄宮に問題が多い。太限・流年の疾厄宮に問題有り。
代表的な相談をあげてみました。
これらの問題に、問題の原因を命盤の12宮を観察して原因を特定し、それぞれにアドバイスをするのですが、そもそも命盤に問題が現れている場合、その人の人生の持っている(産まれ持った)傾向なのですね。ですから、一時的なアドバイスや努力では、再び同じ問題が起こってくるです。その時期は巡る運勢を観る「流年運」の凶意が増す時期です。
しかし、多くの問題、試練は、「運が悪い」からではなく、「自分の内面に問題」が有るからです。「内面の問題」は自覚出来ない場合も非常に多いのです。自分は一生懸命真面目にやっている、なのに巧くいかない。だから「運が悪い」そのために何してもダメなんだ。そう思うようになります。しかし、命盤には旨く行かないことの「12宮」の相当する宮に「自化忌」や「凶星多く」あるいは欽天の「必定」が有ります。だから「運が悪いじゃあないか」と言いたく成るでしょう。
「命盤が悪いから、人生が旨く行かないのは当たり前じゃあないか」と言いたく成るでしょう。
紫微斗数で深く鑑定し、お客様を深く観察していますと、あることに気付いてきます。
「命盤が悪いから人生が不好」ではないのです。
「自分が旨く行動出来ない性格」だから、命盤にそれが目に見える形で表されて居るのです。
つまり、自分で自覚できないものが、命盤には「観える形」で表示されているのです。
「命盤」には、貴方が試練から抜け出すための『ターニングポイント』が示されているのです。これを真摯に受け止めることによって試練を超え、未来を変えることも可能なのです。
とは、言ってもそう簡単に「産まれ持った性格・思考・思想」を変えるのは容易では有りません。故に人生は生まれ付き決まっていると言われるのです。
絶壁や急流に逆らって登るのは容易ではありません。どちらかと言えば、下る方が楽です。急流に逆らうより、流れに乗る方が楽です。人生もしかり、逆らうより流される方が楽です。でもその流れが堕落に向かう流れなら、流れ着いた先が奈落だったら困りますね。
でも、その先が奈落か地獄かは誰も観える筈が有りません。紫微斗数の命盤なら観えますが。
人生を少しでも変えたいと思うなら、自覚できない自分の「心=魂」を自覚出来るようにしなければなりません。どうすれば良いのでしょう。
「神理」では、「因縁の解消には因縁を自覚することが第一歩」と云われています。
つまり、試練を超えるには、よく試練と向き合う必要が有るのです。嫌なものから逃げたく成る、顔をそむける。これは皆んなそう思います。だから苦労からいつまでも抜け出せないのです。どんな試練からも絶対に逃げない、果敢に向かっていく、避け難い試練に遭遇し(例えば片足を失う、全身麻痺、難病、不治の病、余命数ヶ月)ということも有ります。それでも起きてしまった事は、どうしようも有りません。いくら泣き叫んでも何も解決には成りません。そのような宿命は受け入れて、そのような状態で充実出来る人生を送るには、どうすれば良いのかを模索する方が遥かに人生は変わります。奇跡も起こります。
先に挙げた、①~⑧までは、結論を言えば、すべて自分の『魂』が変われば解決することです。避けがたい災難は人生の全体から見れば少ないのです。
私は紫微斗数に係わって来て、気付いたことは「福徳宮」を根源とする『魂の状態』が人の「心」を自覚出来ないところで操っていると感じるように成りました。魂は産まれ持ったものです。しかし親から貰った物では有りません。何故なら親から貰った物なら、親子争いが起こるような「魂」を親が与える筈が有りません。しかし、今の世の中は「親子虐殺」も増えて来ました。ですから「魂」は親から貰った物では無いのです。それは「霊界」天から授かったものです。あるいは、輪廻転生で持ち越しの物です。
苦労する、試練を作り出す思考を授けられれた「魂」で、この世に生を受けて来たのです。偶然の賜では無く、必要が有って必然的に生まれて来たのです。その意味を深く考えて生きて行きたいと思います。
紫微斗数は、その課題を持った「魂の生き方」を知る命術と感じます。
単なる「吉凶」だけを観る占いでは無いということを改めて考えさせられます。
私は、今、『魂の在り方』を思考しています。そして試しています。
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