2017年12月23日土曜日

的中させるから、解決させるへ



先日のNHKニュースで、2018年は占いの需要が増えるらしいと、そして東南アジアなどでは、その需要に応えるように各地で占い教室が盛況で予約がいっぱいだそうです。
教室で学ぶ人の中には会社の経営戦略に活かそうという経営者も多いと伝えられていました。

日本でも、これから占いの需要は増えるのではと感じています。
やはり世界規模での政情不安、災害の増加、こうした時代背景が有ると思います。
医学も科学もまだまだ未解明の事が多い故に、理由は不明でも占い(特に命術)は科学・医学で未解明な事象もよく的中させています。

しかし、これまでの占いは、本当の意味では相談者さんの要望に答えきれていないと感じます。
よく相談者さんから耳にするのは、「吉凶は言い当てても、その凶意を無くしたり減らしたりする方法に付いてはイマイチ」というのです。
つまり、起こりそうな悪い出来事に関してズバリ言い切ることは有っても、それを避ける方法のアドバイスには欠けるというのです。

確かに、これまでの占いは悪い出来事(良いことも)に関して、自信の有る占い師さんはズバリ言い切りました。

私も20歳代に脱サラした当時、占い師さんにズバリ言い切られました。
「あなたは一生、何しても成功することは無いでしょう」、非常に厳しい鑑定にガッカリしてしまいました。私は「そう成らない為には、どうすればいいですか? 何が原因で成功出来ないですか?」すがる思いで占い師さんに尋ねました。

しかし、占い師さんの口からは、そうなる原因については聴くことは出来ませんでした。

その当時、何故、悪いことが起こることは判っても理由は判らないのだろうと思いました。
当時、私は脱サラをしたけれど厳しい現実に戸惑っていた最中でしたから、その鑑定には非常に落胆しました。
その理由は今に成ればある程度理解出来ます。

霊感占いならば、相談者さんの身の上に悪いことが起こっているイメージが観えるからでしょう。でも、すごい霊能者なら、その悪い出来事が起こる前のイメージも観えているのではと思うのです。残念ながら私は霊能者ではないので詳しいことは判りません。

一方で命術は一定の理論・法則に沿って分析する占いですから、霊感の有無に関係なく予測が可能です。更には、その理由に付いても「紫微斗数」は判るので、その理由も詳しくお伝え出来れば相談者さんの不安も軽くなりますし、努力によって避けることも可能な場合も少なくありません。
しかし、これまでの占いは、それに応えることは少なかったようです。
その理由とは何だったのでしょう?


鑑定時間が限られているから?
上から目線で、そこまでする必要性を感じなかった?
原因まで分析する能力に欠けていたから?
低料金だから?
単なる不親切?


理由は様々かも知れませんが、相談者さんの求めて居るのは、「悪いことが起こる」ことを知りたいだけではありません。
それは避けようの無いものならば「知りたくない」という人も少なくないのです。

原因が判って避ける方法も有るのならば、それを早く知って対処する方が得策です。
幸いなことに「紫微斗数」では、その原因も命盤に現れています。
ただ、その原因に成っていることを相談者さんが受け入れ、変えようとする努力が出来るかどうか、ということも重要です。

避けさせることは占い師には出来ません。座っていれば「全部やって貰える」なんて甘いものではありません。避けるのには相談者さん自身が行動しなければ成りません。

どのような行動をすれば良いのかということを占い師がアドバイスすれば良いと思います。
原因によっては、相談者自身が受け入れられない事もあります。
あるいは相談者さんが原因に成っていることをお伝えしても理解出来ない場合もあります。
こんな時には、カウンセリングの技術も必要と思います。

これまでの多くの占いは、鑑定結果を伝えるだけのものが多かったのではと思います。
医者なら診断だけして、「後は自分で治すか、何処かで治して貰いなさい」と言っているようなものです。
しかし、それでは不親切です。原因も分析出来ているのなら、解決方法もアドバイスして欲しいものです。不安なことだけ言い放って後は知らない。というのでは、私が20代に体験した不親切極まりない占い師と一緒です。

このような占い師は、これからの時代には淘汰されていってしまうのではと感じます。
占いの方法も時代と共に進化するべきです。


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2017年12月20日水曜日

66年を振り返って-5

66年を振り返って-5

県立工業高校電気科を何とか卒業し、いよいよ就職となったが、クラスの90%近くは県外への就職だった。大学への進学者は40人クラスの12人であった。
私は、みんな県外への就職を希望する中で唯一県内へ就職を希望した。その理由はあまりハッキリしたものは無かった。今になってみれば、私の命盤には「たとえ末っ子でも跡取りをする」ような宿命が託されていた、そのために無意識の内に県内希望を出し、家に残る選択をしていたとも言える。

高校卒業後の最初の勤務先は甲府市内に有る、大手家電販売会社、T社の山梨支店だった。
その会社のアフターサービスを担当するサービス課の部品管理であった。

甲府市内へ勤務することと成ったが、実家の明野町からは公共交通を利用したのでは2時間以上の通勤時間が掛かり、自家用車も無かったので、甲府市内へ住むことに成った。

住居は会社で探してくれた。
見付かった住まいはアパートでは無く、「下宿」であった。多分、今時「下宿」と聴いても何のことか判らない人も多いでしょう。辞書を調べて欲しい。
辞書を調べるのが面倒の人の為に簡単に「下宿」を説明する。
「下宿」とは、普通の民家などの家の一室を間借りすることである。
つまり、玄関もトイレなども、その家の住人と共有する場合も普通だ。
当然、毎日その家の住人家族と顔も合わせるし、アパートのように友人を自分の部屋に招き入れることも自由には出来ない。当時は「下宿」というのは結構一般的であったようだ。
今では考えられない賃貸の方法だ。

防犯上、現在では問題の多い方法だ。家主が留守でも家主の家に間借り人が自由に出入り出来るし、間借り人が施錠などを怠れば家主の部屋まで窃盗に遭う可能性だって有る。

もっと悪いことを考えれば、間借り人が信用ならない人間ならば家主のプライベートエリアにも簡単に侵入出来てしまう。また、その逆も有る。実際に私が会社に行っている間に家主の家族が私の部屋を覗いたことも有ったようだ。間借り人も家族も信頼関係が成り立っていないと問題が起こる。

やはり、私の場合も問題は起こった。家主は母子家庭で母と年頃の娘の二人家族。その二階に私が一部屋を借りた。会社が見付けて借りた部屋だが、私は当初困惑した。まったくのプライバシーが無いからだ。部屋に鍵が有る訳でもなく、玄関も一緒なので私の生活は丸見えだった。当然、1階の母子の生活も丸見えだ。
ただ、便利なこともある(?)。私が会社に行く時に二階の窓の外の、物干し竿に洗濯物一式を干して出かけて、夏の午後など夕立が有る時には、家主のお母さんか娘さんか、どちらかが私の部屋に立ち入り窓の外の洗濯物を取り込んでいてくれてるのだ。

私は会社に居て、夕立が有ると部屋の外の洗濯物のことが気になったが、夕方部屋に戻ってみれば、干して有った洗濯物が全てキチンと折り畳んで、私の部屋の片隅に置いてあった。下着までも。

私は、この洗濯物をお母さん、娘さん、いったいどっちが取り込んでくれたんだろうって恥ずかしくなったり、アットホームな感じで嬉しかったりの複雑な心境であった。うっかり女性ヌード写真雑誌など置いては置けない状況である。

当時でも集合式のアパートは有ったのに、会社は何故に下宿を選んだのか不思議だ。費用の関係なのか。
やがて、問題が起こった。といっても大したことではなかったが。

それは入居後半年したくらいの夏の日のことだった。
有る朝の土曜日、会社に出かける支度をしていたら、二階の私の部屋に一階に住んでいる家主のお母さんが登ってきて、私の部屋に来た。

お母さんは「今日、私は旅行で出かけてしまいます。帰って来るのは明日の夜ですので、娘が一人で留守番してますので、よろしくお願いします」と言った。

私は、「お母さんが留守中は娘が一人なので、防犯に協力して欲しい」と解釈した。
私は「はい、出かける時はシッカリ施錠します。何か有ったら娘さんに協力します」

お母さんは「よろしくお願いしますね」と言って階段を降りていった。

そして会社が終わり、私は下宿に帰ってきた。家は誰も居なく留守だった。
私は留守を任された気分でちょっと責任感を感じていた。

下宿の部屋で夕食を済ませ、部屋に寝っ転がってテレビを観ていた。
一階の玄関の開く音が「ガラガラ」と聞こえて来たので、私は急いで一階に降りる階段の所まで行ってみた。そこからは玄関が広く見下ろし眺められた。玄関の鍵を開けて入って居たのは娘さんと若い男性だった。二人の雰囲気からして恋人という感じだった。

私が二階から玄関を見下ろしているのに、娘さんは最初気付かなかったが、娘さんが見上げたら、私とパチンと目が合った。一瞬、娘さんは驚きの表情と「何よ!」という顔をした。
私はマズイものを観てしまったと思った。私は「お帰りなさい」と言って会釈をしながら部屋に戻った。そしてテレビを観て過ごしていた。

一階の二人は何をして過ごしたのかは気にも成らなかったが、深夜に玄関の戸が「ガラガラ」っと音がして開くのを感じた。布団の中で時計を観ると、午前2時半を過ぎていた。

気になった私は、そっと一階に降りる階段の所まで行って玄関を見下ろして観たら、彼を見送る娘さんの姿が玄関に有った。私の気配を感じたのか娘さんは直ぐに二階を見上げた。またしても娘さんと視線が衝突した。気まずくなった私は黙って部屋に戻り布団に入った。



それから1週間後、会社の総務部長から「宮崎くん、今住んでいる下宿を他へ代わって欲しいと大家さんから連絡が有ってね。会社で探したら別の住まいが有るんだけど、一緒に見に行って良かったら引っ越しして欲しいんだけど。引越し費用は会社が負担するので」、そう言われ新しい住まいを見に行った。

新しい住まいは2階建てで、一階と二階は別々の住居に成っていて、一家にはすでに若い夫婦が住んで居るようだった。私はその二階を観て引っ越しを決めた。

その新しい住居の周辺は、いわゆる歓楽街であった。バーやスナック、ピンクサロンも軒を連ねていた。18歳の青年が住むのには少し刺激の強い場所であった。

実際、引っ越して最初の夜から、薄暗く成りだして、軒を連ねるピンクサロンの店先には、超ミニのお姉さん達が細く長い脚を見せびらかしていた。


<続く>


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2017年12月16日土曜日

遷移宮が来因宮の人はご用心



紫微斗数の命盤には12の宮があります。
この12の宮の何処かが誰でも来因宮になります。

この来因宮が「遷移宮」の人は災難に注意です。
多くの方を鑑定して、お気の毒にと思うことが多いのです。

私の知り合いも遷移宮が「来因宮」ですが、特別に来因宮が悪い訳ではありませんが(命盤は少々波乱傾向)、幼少期から何かと嫌な目に遭ってきました。

その嫌な目、災難とは自分が直接的な原因には成っていないが、自分が関わったことで他人の災難に巻き込まれることが多いのです。
酷い時は最終責任を取らされる。ということも有ります。また様々な濡れ衣を着せられることも少なくないのです。

もう少し事例を挙げますと、ご夫婦で海外に渡航した際に、些細な事から奥様は当局に拘束される事態となり(些細な書類手続き上のミス)、パスポート没収、収監という事態にまで発展してしまいました。ご主人は無事に帰国出来ましたが、奥様は半年ほど当局に拘束されていました。

奥様は帰国後に紫微斗数で鑑定され、その結果は「来因宮」が遷移宮でした。
廻る大限(10年単位の運勢)と、1年運の外出運が大凶の時期でした。
その奥様は、その後の期間の夫妻宮(夫婦のことを観る宮)が大凶でした。
結果的に帰国後に、その外国での事件がきっかけになり離婚をされました。

その他にも来因宮が遷移宮の方たちに起こった災難の例を幾つか挙げますと、外出時の交通事故、町内会での様々な行事に参加するたびに嫌な問題に巻き込まれた。

人に親切にしたことが発端と成って、有りもしない噂を町内に広められ悪者扱いにされた。

他人の面倒を観たのが発端と成って事件に巻き込まれ冤罪で逮捕収監、挙句は裁判でも無実が立証されずに実刑判決となり、十数年の懲役刑に服し、服役後には社会的に抹殺され、社会の片隅で小さくなって生きる人生となった。

ある役所の責任有る地位の方が、積極的な社会活動に参加していたら、やはり他人の問題に巻き込まれ、地域の大きな社会問題にまで発展し新聞で実名報道までされて、汚名も着せられ社会の奈落に落とされた。

このように挙げた例は、ほんの少しのことですが、いずれも自分は直接の原因にはなって居なかったのに、大きな責任問題を背負わせれた一例です。

来因宮が「遷移宮」の方は、どうか外に出たら慎重な行動をお願いしたいです。



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2017年12月12日火曜日

運命とは?


国語辞典で調べてみると。「物事の成り行きや人の身の上を支配し、人の意志で変えることも、予測することも出来ない力」、とされています。
と言うことは、やはり「運命」という不思議な力は、昔から世間で常識的に認められている訳です。この「運命」は、物事の成り行きも支配している訳です。人の人生に於ける身の上も支配し、結果的に人の一生を司る不思議な力です。
これと同じようなことを、あの有名な心理学者「ユング」も言っています。
偶然の出来事は、偶然に起こるのではなく、必然的に起こる出来事である」と。

 世の中の誰もが、「何の因果もなく、たまたま起こった偶然の出来事で人生を大きく変えられてしまった出来事は、偶然に起こった事だった、だから運が悪かったんだ」などと言います。運の悪い出来事に、たまたま偶然に遭遇し人生を大きく変えられてしまった。だから運が悪かった?
奇妙な表現ですよね。運が良いとか、運が悪いとか、いつでも偶然に起こるのでしょうか?
ならば、一生運の悪い人、不幸な人って居ますよね。その人は、あまりにも偏った偶然が多すぎるじゃあ有りませんか?
逆に、一生平均的に幸せに暮らせて、人並みの人生を全う出来る人も、偶然に運の悪い事が少なかったのでしょうか?
 これって「不公平」ですよね。いわゆる「乱数表」という物を使って数字を出す方法が有りますが、これはムラのない偶然を作り出すシステムです。
なのに、実際のこの世は、ムラの多い偶然の集合体みたいなものですね。

「運命なんて決まっていない! 偶然の出来事だ!」と言い切る人も多いです。
それは、それで結構。

しかし、科学で解明できない事も、この世には百万と有ります。
人間の科学が解き明かした、この世の不思議は、全体から観れば、ほんの一握りの事です。科学者と言えども判らない事だらけなのがこの世です。

ここで、台湾の書籍から「運命」について面白い記述が有るので抜粋で掲載させて頂きます。

「参考文献 四柱推命大全  著者・鍾進添/訳注者・山道帰一」
(鍾序より)
『中国の前漢時代の言葉として「一に命、二に運、三に風水、四に陰徳、五に読書」というものがある。これは「命運」は1つの人生における「現象」であり、それは1つの「事実」に帰結する。という意味である』

分かりやすく解説します。
」とは生まれながらの天命、つまり生まれつきの人格。紫微斗数でいえば「命宮」に相当する。
」とは後天的に巡ってくる運勢のこと。紫微斗数で言えば、巡る年月の「流年運」のことである。
風水」とは、人生を送る環境のことである。あるいは活動する地理地域のことである。
陰徳」とは、人目には観えなくとも、世のため人のために尽くす行動のことである。
読書」とは、学問、知識、教養を身につけることである。

これらを言い換えると、「一に生まれ持った素質。二に巡る運の良さ。三に周囲の環境。四に人徳、人に尽くす。五に学ぶこと」である。
つまり、人生の成否は「2/5は、生まれ持った運の良さが必要で有る。ということ、3/5が努力で有る」 こうしてみると、如何に生まれつきとは言え「運」の良さが人生を大きく左右するということである。もし大発展を望むなら、2/5の運の良さを備えていないと叶わぬ夢となる訳だ。
もう少し、著書から抜粋してみよう。
『古代において早くから気付きを得ている人がいた。
一生を通じてさえ、滅多にハッキリと物を言うことが無かった孔子が、「五十にして天命を知る」と言い、また「命を知らざれば、故に君子たること無き成り」 と語ったと・・・』
つまり、自分の天から与えられた宿命が理解出来たのは50歳になってからだと。また、自分の天命、宿命を知らなければ君子(徳の高いりっぱな人)に成ることは無い、という意味で有る。
著書には、面白い例が記述されている。以下はその抜粋であるが、分かりやすく記述した。

『古代中国の名宰相(今で言う総理大臣のような存在)になった人物、呂蒙正が語った言葉として、「文章が世に抜きん出ていても、孔子は陳邦において困難に出くわし、武略に抜きん出ていても太公望は池で釣りをして生活した。
顔回は短命であったが、決して凶悪の徒に非ず。盗跖(古代中国の大盗賊)は長生きしたが、善良な輩で有ったろうか?
曉帝は聖人であるが、不肖(才能がなく、愚かである)の子を産み、瞽そうは頑固で愚かであったが、この上ない孝行の子を産んだ。
張良は最初庶民だったが、大臣になった。
孔明は鶏も縛る力が無かったが、軍師となった。
李廣は寅をも射るが、年老いても大名の土地さえも得られなかった。
漢王は軟弱であったが、万里、江河を掌握した。

先に貧有れば、後に富が有り、老いて盛り上がれば、若くして衰有り。
若い美女が、愚かな夫に嫁ぐ、秀才な夫に反して俗的な醜女の嫁に妻合わせられる。
遊郭の芸姑、時が来て嫁入りし婦人と成り、院宮深くの美女、運が去りて娼婦と成る。
学が無く才能が無くても、若くして試験に合格する人が居る一方で、才能豊かでも白髪に成るまで試験に合格出来ない者も居た。
英雄や豪傑でも、未だ運に逢わざれば、魚やスッポンのように身を潜めるしかない。
君子も失時(活躍のチャンスを失う)すれば、小人(人格の低い人)の下で下男を努めなければならない。
時期が未だ到らなければ、慎んで分を守り安心するが良い。心を欺かないならば、栄華ある日が定められる。

天-時を得ずば、日月は明けず。
地-時を得ずば、万物は生じず。
水-時を得ずば、風波は平らにならず。
人-時を得ずば、幸運は通わず。

(中略)

今日の社会においても、突出した才知が有り、才知に加え努力も決して怠ることが無い人達が、結果として一生、志を得ることも結果を出すこともなく終わってしまう。あるいは事業も旨くいかず、人の下に屈し続けている、実に多くの才知が有り、努力もしている人たちがいる。
これに反して、才知に長ける訳でもなく、いたって凡庸な人が、単に運気が大変素晴らしいために、富めるだけでなく、その人の部下には幾人もの秀才が居る。これは事実である。
そして、このような現象は、「命運」に帰結するより他に合理的な解釈が思い浮かばない。

「鍾進添 著書より抜粋」

「命運」とは不可思議なものなり、「命運」が憑かなければ努力すらも実らないものなり、
この不可思議な「命運」を解き明かし、「命運」に添った生き方をすることこそ、天の理の添った生き方と思う次第なり。
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宮立命ブログは引っ越しをします。

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