2018年3月30日金曜日

時期が良くない時でも、行動しなきゃ成らない時もある



紫微斗数は人生で最高の時期や最悪の時期を観ることに長けた命術です。そのような特徴を持った命術なので、鑑定相談の時には ◯◯ するに最高の時期、あるいは行動には不適当な時期を探してお伝えすることはよく有ることです。

行動しても努力の割には成果の出難い時期、僅かな努力でも成果の期待できる時期というのを探すことが出来ます。特に大限(10年ごとの吉凶の運勢)は基本的に一生に一度しか巡らないので大切な運勢です。

このBlogでも幾度か記述していますが、若い時期に大吉が廻っている人は、10歳~20歳代で大きな成果を上げることが出来ます。普通は何事も数多くの経験を積んで、その上に大きな成果を積み上げるものなのですが、若年期に大吉が巡るとそれほどの経験を積まなくても、人の成し遂げない大きな成果を得ることも可能なので有り難いことです。もちろん経験は少ないながらも人一倍の努力は必須です。

1020歳、2030歳、3040歳代で吉運が廻っていれば世の中の注目を集めるかも知れません。
ところが、50歳代まで吉運が巡らず、凶運ばかりが巡る人もいるのです。したがって吉運を期待するのは50歳、60歳以降ということになります。
このような場合、その人は途中で「何をやっても上手くいかない」という挫折感を味わうことが多くなります。

冒頭で低運気は行動に出ない方が良い時期と書きました。それは準備が整いチャンスを待つ場合のことです。

では、50歳代まで低運気ばかりしか巡らない人は、吉運が巡る晩年まで行動しない方が懸命なのか? 
この問には「No」です。実際に40歳代で鑑定に訪れる方々の中には若い頃からチャンスに恵まれず、ずっと苦労ばかりしてきている人も居ます。そんな方を鑑定して、この先10年、20年と吉運が巡らず凶運のみなんていう場合もあります。
本人も、ずっとずっと苦労ばかりで、もう挫折寸前なんていう場合もあります。
鑑定で「吉運が巡るのは60歳代からですよ」なんて、お伝えしても大概は「え~、そんなの、もう嫌です」という場合がほとんどです。
そうですよね、楽が出来るのは、まだまだ先ですからねえ。この先も10年、20年と同じような苦労を重ねなければ成らない時もあります。ほんとうに気の毒に思います。
では、このような場合に凶運なのだから行動は控えた方が良いのでしょうか。凶運の時は行動や打って出ることは控えた方が良いのでしょうか。占いでは凶運の時は、行動や何かを始めるのは控えた方が良い、というのは当たり前に云われます。

短期間なら、そういうことも有りと思います。でも、この先10年、20年と忍耐の時期を過ごさなければ成らないからといって、行動しない方が良いなんて、籠もっていたら、どうでしょう?

私の大限の大きな吉が巡るのは65歳からです。今はすでに68歳になろうとしていますから、吉運が廻り始めています。有り難いことです。50歳代までは凶や大凶が廻っていました。
50歳代まで本当に何をやっても上手くいきませんでした。
やること成すことすべて裏目に出ることは当たり前。若い頃に占ってくれた霊能者は「貴方は一生涯、何をやっても成功はしない」と言い切ったくらいです。50歳代には本当に「もうだめだ・・・」と思い込み自殺してしまおうと思ったくらいです。

福徳宮は12宮の中で最も大切な宮なのです。私が生まれ持った福徳宮の状態は、本来は良いものです。
しかし「必定」が2つも有ります。これは後天的に精神状態、思考が確実に悪くなり、人生で厳しい状況が訪れることを意味しています。霊能者はこのあたりを観ていたんでしょうね。

鑑定に訪れる方の中にも当面の運勢に吉は望めないという場合が有りますが、だからといって何もしないで籠もっていて良いのかということです。私は凶運が廻っている3050歳代には、今のように人生のシナリオを知りませんでしたから、明日は良くなるだろう、来年は良くなるだろうと、ささやかな期待を持って一生懸命やっていました。しかし10年も20年も、やること成すこと全て巧く行かないと嫌気がさしてきます。

人生のシナリオを当時は知らないので、例え凶運が20年も続いても行動していました。努力の割に成果が出なくても必死で行動していました。しかし常に不安は有りました。「このまま良いことが無くて奈落に落ちて行くのだろうか・・・」と。

私の福徳宮は後天的には悪くなるので、何かとマイナス思考に陥りやすく問題です。ただ、今となってみれば命宮に「化権星」を持っていますから、これは短気の傾向と成って外に向かってヤケになるような傾向になり、ある意味で攻撃的な言動をしやすくなります。でも、これが凹まずに済んだとも云えます。
実際に対人関係で常に攻撃的な傾向で中年期まで過ごして来ました。
そのため、無用な様々なトラブルを起こし、巻き込まれてきたのです。

相談に訪れる方々でも、まだ20年ほどは苦労を強いられるような運勢の人が居ます。
この苦労を何とか逃れる手はないものかと思うわけですが、なかなか見つかりません。そういう場合、どう考えるか。
その人に将来の夢があればしめたものです。あるいは命盤から指針が観えればOKです。今は夢は無くても何か目標を決めればよいのです。
そうしたら、この先に続く20年間の苦労の期間は、多くの貴重の体験を積むために用意された期間ということになります。
私が、この苦労の期間を振り返ってみれば、とてもとても重要な多くの体験が出来た期間です。もちろん嫌になるほどの苦労と挫折を味わいました。でも、この体験って滅多に出来るものではない貴重な体験です。
人の何倍も、それは5人分ぐらいの体験をさせて貰ったとも云えます。
もし、貴女が今、変になるくらいの様々な艱難辛苦の真っ只中なら、それは重要な体験をしているのです。
その体験を無駄にすることなく、この先に、その苦労が役立つことをしなければ成らないのです。
この先のやるべき事は人によって様々です。家庭的なことで終始するかも知れません。あるいは人の為、世のために何かをするかも知れません。
人生の目標が定まっていれば、いま苦労の真っ只中でも越えていく心の強さが備わります。人生の目標が定まっていないと日々の苦労にばかり目が行ってしまい、越えられる辛さも越えられなくなってしまいます。
凶運の真っ只中でも籠もっていてはダメなんです。あえて苦労の体験をするため、貴重な知識を得るための重要な期間と思うことです。私は過去を振り返って思うことは凶運の時に行動を開始し、起業し、投資もして騙され、人を恨み怒り、散々になりました。最後は負債を抱えて事実上の倒産、破産です。そんな貴重な体験が出来たことは本当に有り難いことと思います。今になって様々な体験が役立ち始めています。

占いの勉強をすれば「吉凶の判断」をするための技術が身に付きます。でも判定できた吉凶で、具体的に何をどうしたら良いのかは、人生の多くの経験が無いと選択肢も少ししか考えつきません。また凶と出た場合に、どんな状況に成っていくのかは、そういう場面の体験が無いと想像も出来ません。
例えば不倫についても、なぜ不倫が止められないのか? 当人も悪いと判ってはいるけど止められない。これは体験してみないと判りません。

家庭問題が発生しても、単に吉凶を判断しても状況がリアルに思い浮かばないと正確な状況判断が出来ません。
このような場面には、人生の体験が多い人ほど有利なのです。占い理論が長けていても、実際の状況がリアルに浮かばないとアドバイスも机上の空論になりやすいです。

もし占い師を目指すなら、人生体験も重要なスキルです。鑑定理論に長けたなら占い教室の先生には最高ですが、現実的な鑑定・アドバイスを生業とするなら苦労の体験こそ重要な財産です。
今、苦労の真っ只中にいて溺れそうになっているのなら、それは貴重な体験を得られるチャンスです。
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2018年3月14日水曜日

未来はすでに存在している。



モーガン・フリーマン 時空を超えて「時間を遡ることはできるのか?」
NHK Eテレ)

この番組を観て思いました。紫微斗数の鑑定で日常に使っている行運の鑑定がこれに当たると。
NHK Eテレで38日(木)PM10時から放送された内容を簡単に紹介すると。

『アインシュタインが唱えた相対性理論によれば、現在・過去・未来という時間の区別は、単なる幻想に過ぎず、全ての時間は既に存在しているという。もし全ての時間が同時に存在するなら、未来をのぞくことが可能になる? 一方、同じ物理学でも量子物理学の世界では、未来が過去に影響を及ぼす現象が見られるという。また、タイムトラベルを可能にしようと研究する科学者もいる。現在・過去・未来の正体とは…? 時間の不思議に迫る!』

この番組によると、過去も未来も現在も、すでに存在していて、私達はただ映画のフィルムのように、あるいはDVDのように、そのすでに存在している中を時間と共に移動して、目の当たりにするものを現在として認識しているだけなのだろうと感じた。
何故ならば、紫微斗数では未来予測は高確率で知ることが出来るし、過去の出来事もすでにシナリオとして存在していたことを実感しているからだ。(注:高的中率は最新の紫微斗数の理論に依る)

紫微斗数は生年月日・生まれ時刻の情報から一生涯の様々な出来事と、その時期を知ることが出来るのだが、そもそも「未来の事を知ることが出来る」ということは、理論的には、すでに未来というものが存在していなければ観ることは出来ない筈である。存在しているからこそ知ることが出来るのであろう。
逆に言い換えれば「的中」という事ではなく、「観ること」が出来るか、どうかが占いの基本なのだろう。
と、いうことになると。この定まった人生のシナリオは変えられないのだろうか・・・。

番組に依ると、過去に戻ることが出来たとしても、過去を変えることは出来ないとしている。
それは矛盾が起こるからだ。映画「バック・ツー・ザ・フューチャー」では主人公が過去に戻って、過去の出来事を変えてしまうシーンが有る。しかし、過去を変えたことで、その矛盾の帳尻を合わせるために、過去の現実が次々に未来に向かって変わり始めるシーンがある。
この映画では過去に戻って、過去の出来事を変えようとしたのだが、過去だけを変えることは理論上出来ない。過去は未来の出来事の起点だからだ。言い換えると未来の出来事が過去を決めているのだ。私達が今現在体験している「現在の出来事」は、未来から来ているのだ。「未来の結果」に繋がるための出来事を「今」体験し行動しているのだ。

番組でも過去・現在・未来に矛盾を生じることは一切、変えようと思っても変えることは不可能とされている。もし仮に変える行動をしたとしても、その変える行動自体が既に未来の出来事に織り込まれているというのだ。実にややこしい話しだが、日常に鑑定していて実感する出来事がある。それは、相談に訪れている人の未来の人生に変化が観られる場合だ。つまり鑑定に来た時期までの運勢は最悪なのに、鑑定後しばらく期間が過ぎた後の人生が好転し始めてる場合は、鑑定してアドバイスした結果、相談者が具体的に思考、行動を変えて悪いシナリオを変えるだろうと言うことだ。言い換えれば、相談者が占い相談に訪れ、鑑定してアドバイスを受けて、その結果に未来のシナリオが変わるということ。「未来のシナリオを変える」、ということまで既に未来のシナリオに設定されているのだ。
もっと分かりやすく言えば、幼少期から中年期まで最悪の人生だが、途中で占い師に相談に行き、その結果に人生が好転する。というシナリオは生まれた時には既に定まっていた。ということなのだろう。

そう考えると、占いで未来を変えているつもりだが、実は全てのことは既に定まっていたということでもある。ちょっと面白くない話でもある。では占い相談に行った後も何も好転しない場合は、元々何も変わらないシナリオということに成るから、占い相談に行く占い師は未来予測の出来ない占い師の所に行くだけの事。とも言える。あるいはアドバイスを受けても、相談者が何も変えられなかったとも云える。

なんか屁理屈を並べている感じだが。未来がすでに存在していて、その未来にピタリと合う為に様々な出来事が順序よく設定され、出会う人もそのシナリオに必要な存在として設定されていると言ってよいのだろう。
これはまさに芝居、映画の脚本と一緒なのだと思う。シナリオが有って、登場人物が有って、舞台背景、大道具、小道具すべて定められている。そして私達はその壮大なスケールの人生劇場で一人の人間としての役を演ずるということだ、命を掛けて。この芝居にはNGのやり直しは無いのだ。NGすらも脚本の一部なのだ。

では、すべての未来が既に決まってしまって居るのなら、まったく面白くもないし、生きているのも馬鹿馬鹿しくなってしまうかも知れない。しかし、我々には通常は未来など全く知ることの出来ない状態に、設定されているので面白いのだろう。でも大変に苦労を強いられる役を、演じさせられるのは不公平である。そんな苦労の役どころを、少しは楽なシナリオに変えて欲しいと思うのは人情だ。そこで占い相談に行って自分のこの先の役どころは、どうなっているのか知ろうとする。その結果、想像以上に大変なアクションが有って、その末にズタズタにされて死んでしまうシーンが有るなんて知ったら、冗談じゃないってことになる。脚本家(神様?)に文句の一つも言いたく成るのも無理はない。それで、そのシナリオ通りにズタズタにされたくないので、どうしたら良いのか占い師のアドバイスが重要である。でも、相談に行く占い師も脚本の中の出来事なので、回避されるアドバイスをするのだが、結局はズタズタにされるように成っているシナリオなので、アドバイス通りにしてズタズタに成る、なんていうことも有るのかも。

私は何を云いたいのか? 訳の分からない結末になってしまった。
言いたいことを整理すれば、未来はすでに存在しているので、紫微斗数で存在しているものを観ることが出来る、という話しでした。でも未来は変えられると思う。ただし全く別の人生には出来ませんよ。

私が30歳代に霊感占い師に「あなたは一生涯、何をしても成功することは無い」と未来を観て教えて頂きましたが、60歳代で紫微斗数を使い自らが自分の未来を観て、これは変えなければ成らないと思い行動に出た末に、霊感占い師の観た未来とは別の結果に成りました。これは紛れもない事実です。


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2018年3月7日水曜日


欽天派紫微斗数の業報因果の解読


紫微斗数という命術は「過去世で定めてきた今世での修行のテーマ」を観ることが出来ます。それは欽天派の紫微斗数の「業報因果」という理論です。
紫微斗数の命盤は赤ちゃんが産道を抜けて、この世に生まれ出た瞬間の時刻で作成できるのです。
もっと言えば、赤ちゃんは生まれ出た瞬間には、この人生で起こる様々な出来事、時期は決まって来ているということが断言出来るのです。
酷な言い方ですけど、まだゼロ歳の赤ちゃんの命盤から、例えば6歳の8月に亡くなってしまうかも知れない、などと言うことも判ることが有ります。
それも生まれる前に決められて来ている、としか解釈のしようがありません。

では、何故に生まれて、たったの6年で、あの世に帰ってしまうのでしょう?
この赤ちゃんの誕生は無意味じゃないの? って思いたくなりますよね。
でもね、この赤ちゃん。ちゃんとです、たったの6年の命でもしっかり重たい役目を持って生まれて来たのです。たったの6年でも、人の一生分の役目を持って生まれて来たのですよ。
それは、お母さんの為だったりするのです。あるいはお父さんの為だったりするんです。
それに気付かないお母さん、お父さんは可哀想です。
紫微斗数の命盤で判る「業報因果」、それは仏教の「因果応報」とも云えます。

でも、この「業報因果」を読み解くのには、タロットのカードを読むような感性が必要と感じます。
命盤の12の宮に入る、「文昌・右弼・左輔・文曲」で読み解く方法と、「生年四化」が入る宮で読み解く方法が有ります。

命盤の12の宮は、巷の紫微斗数の教本に書かれている宮の解説では、その宮の意味が足りません。
12の宮には様々な意味合いが有ります。それらの意味を理解していないと、業報因果は意味不明な事になります。

少しだけ試してみましょう。
私の命盤を使って業報因果を解説します。
(※業報因果の解読法のご質問はお受けしかねますのでご容赦ください)
鑑定の際には解読して、ご説明します。

試練、試されることが「業」と「B」です。
カルマの原因となるもの、その環境、縁を示すのが「因」と「A」です。
では、どうすれば良いのかは「報」と「C」です。
結果、到達点は「果」と「D」です。

■生年四化で読み解く
私の命盤の生年四化の「B」は命宮です。自分自身が試される試練です。更には人生そのものが試されるのです。
「A」  は福徳宮です。人生が試されますが、そのための条件は、私自身の陰徳、精神性が試される環境・縁といえます。
「B」  は財帛宮です。お金です。金を使うことです。福徳宮にです。つまり投資をしなさい、ということです。精神性を高める為に投資しなさいと解釈出来ます。金を使って散々の苦労を体験しなさいということです。
「C」  は官禄宮です。BAC の結果の到達点は仕事ということです。
つまり、BACDを判りやすく言えば、人生そのものが苦労の連続が続き精神性を試されますが、それは金を投資してまでもやりなさい。そうしたら、それが仕事に成りますよ。
ということです。

■文昌・右弼・左輔・文曲で読み解く
「文昌」は「官禄宮」です。
「右弼」は「奴僕宮」です。
「左輔」は「疾厄宮」です。
「文曲」は「財帛宮」です。

つまり、仕事は辛く試される試練に成りますが、それは人々の災厄に関わることです。その結果、それで生活が出来ます。
もっと分かりやすく言い換えれば、人々が抱えるトラブルに仕事で臨めば、それで生活が出来るようになりますよ。ということになります。

私の適職は「双象媒介」では「BDC」です。「トラブルを扱う仕事」が適職になります。
考えてみれば、私は高校を卒業するから、ずっとトラブルを扱う仕事に従事してきました。

最初は家庭電化製品の修理部品を扱うサービスセンターでした。

次にコンピューター関連製品の製造の仕事では製造技術と品質管理課の仕事でした。顧客から入る様々な製品に対するクレームの受付と現地調査、製品の不具合の原因究明、そして製造課程へのフィードバック、時には設計担当への変更依頼でした。顧客の所へ出張し修理もしていました。

一時期、自衛隊や消防隊に憧れましたが、身体的な問題で諦めました。これも国難、災難を扱う仕事です。

脱サラした後には、家庭電化製品の修理の仕事でした。

中年以降には知的障害者施設では支援員の仕事。老人介護施設では介護職でした。

そして現在は人生のトラブルを扱う占い師の仕事になりました。

「業報因果」とは、その人が、この人生で何をテーマに、どんな条件で、何に尽力し、何を得るかが明示してくれていると感じます。この「業報因果」に沿った生き方をすれば満足度も得られると感じます。また本人は気付かなくても条件が整いやすいとも感じます。


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宮立命ブログは引っ越しをします。

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