正しい心(心の調和)を持たぬ霊感ほど怖いものはない
この話は真実です。
もうだいぶ前のことである。私の所に鑑定依頼で訪れた女性が居た。
年齢は50歳代の独身の人だった。仮に名前を「A子」さんとしておこう。
相談内容は複雑なものだった「生き難い、老後が心配、体調も最悪、仕事も安定しない、収入面でも大変、毎日が不安で仕方ない・・・」。
命盤を作成してみた、「自化忌」も多いが「自化」や「流出四化」も多く、幾つかの宮に複数の「生年四化(M)」と「自化M」が同宮で「同組・同象」の組み合わせを持っていた。一目観て「これは大変な人生だ!」と思った。
日々の生活やこれまでの経緯を伺うと、決まった定職に就いてはおらず、「何人かの固定客の相談にのる仕事」で収入得ているという。何処かの会社に努めても対人関係が煩悶でストレス多く長続きしないという。
「人様の相談に載って収入を得ている」というのは、一種の占いだそうで、相談者さんが訪れると、A子さんの脳裏に様々な「現象」が観えるのだそうだ。「霊が観える」とも言っていた。つまり「霊感占い」なのだろう。
しかし、その「霊感占い師」のA子さんが、同じ占いの仕事をしている私の所に、占って貰うために来たのだ。
A子さん曰く、自分の霊感では、自分の将来は観えないし、日々の生活苦、精神的苦悩から抜け出すための解決策が、自分の霊感では何も見えないという。
私には「霊感」は無いと思っているので、「霊感とはそういうものか」と初めて知った。
確かに「霊感占いを生業にしていたが、ある日突然に霊感が消えてしまい、占うことが出来なくなってしまい、占い師を廃業した」という話は数例を耳にしたことがあった。
霊感とは、いつか突然に消えてしまうのかも知れないのなら、占いを生業にするには当てに成らず怖いと思った。
それに比べれば「命術」では霊感は無用で、しっかりした理論を学んで、後は経験から得られる「感」(これを霊感と言うのかどうか?)が身に付いてくるので、紫微斗数なら命盤をひと目観て、人生行路の苦楽の概略が判るから便利な占いで、消えてしまうような事もないので信頼できる占いである。
さて、A子さんの話に戻るが、A子さんの命盤は一言で、言って「苦悩の人生」と言える。
鑑定していくと、様々な問題も浮かび上がってくる。
一番の問題は「対人関係」なのだ。特に「福徳宮」が原因の、人に対する思いの問題であった。占い師は宗教家と一緒で、心は善良でなければならない。慈悲の心が無ければ務まらない。我利我欲の心を持っていては、フィルターを通して相談者さんを診ることになるので正しい判断なんて出来ないだろう。まして「霊感」なるもので占うとなると、その霊感は果たして善良なる霊感なのだろうか?
悪霊に取り憑かれた霊感で人を診ることになるのではあるまいか?
そもそも、霊感とは、物質世界も含め霊界との繋がりが出来やすい事を意味する。
神理を学んでみると解るが、人の心の奥深くには「霊魂」が存在する。日常その霊魂を本人も意識することは滅多に無いもののようだ。その霊魂が表に観える形で現れる時は、感情的に成った時だ。この時は、理性と感情の戦いが起こるからである。
感情は「霊魂=魂」と思う。
解りやすく言えば、「恨み・妬み・怒り・不平不満・愚痴・我利我欲に翻弄され、己の利益のみにしか考えが及ばない」、そんな状態を心の奥深くに持っている人は、生半可の霊感が有ればかえって悪霊が憑きやすいのではあるまいか。
まさに、A子さんは、その極点と感じた。
命盤を観て、そう感じたので、A子さんに様々な質問を投げかけてみた。
すると、堰を切ったようにA子さんの口から出てくるものは、オドロオドロしいものだった。有りとあらゆる人の悪口、自分の周囲で関わりのある人達への全ての人への、妬み・怒り・憎らしさ・不平不満、足りることを全く知らない、我利我利亡者であった。
更に、驚いたのは、お客さんである相談者さんの悪口まで出てくる始末である。
私は、「あなたの、これまでの全ての困難試練の原因は、今、あなたの口から次から次へと出てきた、泥のようになった不平不満ですよ」と諭した。
私のその言葉にA子さんは、如何にも我慢ならんという風に、意外なことを言い出した。
「先生、先生の後ろには悪霊がたくさん憑依しています。私にはよく観えます。あああ~怖い、こんな所に来るのでは無かった。先生、お祓いをした方が良いです。身体の具合が悪いでしょう? 私がお祓いをしてあげますよ」
私は、何の不調も感じませんし、不安も悩みも有りません。
「A子さん、私には霊感など有りません。そのせいか悪霊なんて感じませんし、私は、怒ることも無いし、妬み、恨み、不足不満を感じません。むしろ日々満たされた気持ちで感謝の気持ちで神仏にお礼を申し上げています」
私はさらに続けた。
「A子さん、貴女に今、見えている悪霊とやらは、貴女の心の中に住み着いて居るものが観えているのですよ。その証拠に、これまで散々の人生だったではないですか。命盤にハッキリ出ていますよ。対人関係がヤスリを掛けるような、ガリガリで互いに傷付け合うような関係だったでしょ。相談に訪れるお客さんにも、自分より幸せに思えれば妬みの心でアドバイスし、自分より不幸になる人を見て優越感に浸る。占い師としては失格ですね」
「悪いことは言いませんから、もう霊感占いなんて辞めて、心療内科を受診した方が良いです。今のA子にさん一番必用なのは、心の濁りを一掃し、心の安定を取り戻す事です。そして、今の状態でも不足など感じなくなり、感謝の想いが湧いて来ることが、この先の人生を平安なものにしてくれますよ。今日、ここの帰り道に病院に寄って行くことを強くお勧めします」
A子さんは、ショックを受けたのか、しばらく考えて居たが、思い当たることも有ったのかも知れません。
「はい、先生そう言われれば、私は満足という気持ちに成ったことが有りません。いつも悔しい気持ちが湧いて来るんです。先生にあまりにもハッキリ言われたのでショックです。ありがとうございました」
A子さんは、逃げるように帰って行かれました。その後、どうなったのかは不明です。
人の心の奥深くの事は、簡単には治り難いと思います。まして長年、邪悪な想念を持って人生を送って来たのなら、余程のショック療法でもないと気付かないかも知れません。
「福徳宮」は唯一、その人の本質を「命宮」以上に表す所と思いました。
単なる占いとしか紫微斗数を観なかったら、「福徳宮」はオマケみたいな解釈になってしまいます。「趣味、幸せ度・・・」とあまり重要でない宮と感じていまします。
実は、神理に通ずる重要な宮なのです。それゆへ「神理」で説いている「正しい心」は邪悪なものが入り込む隙を与えないと思います。試練の多い人は、「妬み、怒り、恨み、不足、愚痴、憎しみなど」過去を思い出して如何ですか?
身近な人への想いを思い出して観ましょう。
幾ら熱心に信仰をしていても、日常このような思いが現れるなら、信仰は形骸的な儀式にしか過ぎません。何の役にも立っていないでしょう。
また、「他力信仰」と言われる、自分の願いや健康、ご利益、家内安全だけを祈る信仰も役立っていないと思います。もし、それを説くような宗教は、教祖や、その取り巻きの食い物にされないように注意したいです。
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