2018年9月27日木曜日

神様の遣い (3)


神様の遣い (3) 


前回は、学校で先生に殴られたり蹴られたりのお話でした。


---- 小学校の友達 ----

早苗は小学三年生になり、初めて仲の良い友達が出来ました。


ある日、その友達が早苗に一通の可愛い模様の封筒を手渡してきました。
封筒には「招待状」と書かれています。
中には、これまた女の子らしく可愛い便せんに、「次の日曜日に、お誕生日会をするので、私の家に遊びに来てね」と書かれています。

早苗の家ではお誕生会をしたことが有りません。

父親は仕事から帰ってくれば、酒を飲み暴言と暴力で暴れます。

母親は早苗たち姉妹が寝付いた頃でなければ、家には帰ってきません。

ですから、たとえ友達の誕生会といえども嬉しかったのです。

絵本で誕生会やパーティーという様子は見たことはありますが、本当にそんな場面に自分が参加するなんて,夢のようだったのです。

早苗は、その誕生会にさっそく行こうと決めて、プレゼントは何が良いのか母親に尋ねると。
「そんなものに呼ばれて行ったら、借りができて今度は、こっちが招待しなければならなくなるじゃないか、そんなことも分からないのか? 冗談じゃないよ、早く断っておいで、間違っても行ったりしたらいけないよ。」

幼い早苗には気性の激しい母親には逆らうことなど出来ずに、仕方なく参加するのを諦めたのです。

「他所の家では、そんなことは言わないのに、どうして私だけは、行ったらいけないの? うちの親は、なんかおかしい」



その友達の誕生会にはクラスの同級生ほぼ全員が参加することになりました。
クラス中が友達の誕生会で盛り上がり始めました。

早苗は誕生会不参加の理由に悩みました。
仕方なく、「用事があるから、行けなくなった」と嘘をついて断ったのですが、その後、何ともやりきれない気持ちに小さな心は押しつぶされそうになりました。
独り仲間外れになった思いです。


そして、誕生会の日が迫ってくるほど、みんなの話題は盛り上がりますが、早苗はみんなの話に加わることが出来ずに、益々気持ちは落ち込み、みんなの目の届かない教室の隅っこか、教室の外に行くようにしました。


そして、誕生会は過ぎました。
翌日、早苗が小学校に行って教室に入ると、クラス中が昨日の誕生会の話で盛り上がっています。
誕生会に参加しなかったために、みんなの話している内容がさっぱり分かりません。
もう早苗には居る場所が無い、何処かに消えてしまい、そんな強い悲しみが湧き出してきたのです。


その日から早苗は休み時間、独り教室の隅っこで過ごすようになってしまいました。
なるべく、みんなの視線の届かないところに居ようとしました。
みんなの話に加われない疎外感を嫌というほど味わう毎日が始まりました。

早苗は、自分がクラスの中で徐々に「異質な存在になっていく」、という恐れを感じ始めていったのです。


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2018年9月24日月曜日

神様の遣い 【2】


神様の遣い 【2】 


早苗さんが物心ついた頃の記憶を彼女は話し始めてくれました。
前回は、お母さんと姉さんと三人でデパートに買い物に行った時の記憶でした。


早苗の両親はいつも喧嘩ばかりしていました。
父親は常に酒を呑んで暴れる、いわゆる「酒乱」でした。そんな酒乱の父に耐えて、離婚もせずに二人の娘を育て上げた母親に、早苗は自分も同じ母親に成った今、改めて考えさせるののがあったのです。


早苗が小学校に入学して間もない頃でした。
母親は毎日、パートの仕事で働きに出ていました。酒乱の夫の稼ぎが少ないからです。
元々性格のキツイ母親ですから、夫の稼ぎの少ないことへも不満は強く、日常的に夫への文句が口を開けば出ていたのです。その文句が出るたびに夫は近くにある物、手当たり次第に投げつけ、それがたまには早苗や姉さんの身体や顔に当たり血を見ることが有ったと云うわけです。

こんな話、平和な家庭に育った人なら「嘘だろう、出鱈目ばかり書いて」と思うことでしょう。
こうして記事を書いている私でさえ、幼少期には身近な出来事でした。60歳後半になった爺いの記憶にも今シッカリ動画として、父親が鬼のような顔をして母親を殴っている姿が思い浮かぶのですから、三つ子の魂というものは一生涯付きまとうものですね。


さて話を戻しましょう。
小学校で日中を過ごすように成った早苗は、新しい生活環境でさらに苦痛が始まるとは、まさか思っても居なかったのです。
本当は朝、学校に登校すれば嫌な家庭内のことは、忘れて居られると思ったのですが、別の意味で家庭内の事を忘れさせるような出来事が始まることになったのです。

新しい学校生活では、今まで毎日家で過ごしていたとは、まったく違うことが始まります。
まだ67歳の子供なら、学校から帰ったら誰かにそんな出来事を話したいものです。

早苗の両親は怖い親ですが、それでも早苗にとっては母親が唯一の心の拠り所でした。
そんな母親にでも学校の楽しいこと、嫌なこと、いろいろな出来事を、家に帰ったら話そうと走って帰るのですが、家に帰れば母親の姿はありません。

そうです。母親はパートの仕事に行っているので留守なのです。
家に母親が帰ってくるのは夜遅くです。母親は夕方から近くの飲食店へパートで働きに行っていましたから、その店が閉店する夜10時頃でないと家には帰ってきません。

早苗さんは当時を思い出しながら涙ながらに語ってくれました。



「私が学校から帰ると、既に居ないことがほとんどでした。
学校での出来事や、友達とケンカしてしまったこと、宿題のことも、明日の持ち物についても、とにかく、母親に話を聞いてもらいたい事が、たくさんありました。

でも、母がパートを終え、帰宅するのは、いつも私たちが眠った後なのです。

今日こそは、母が帰って来るまで絶対に眠らずに起きていようと何度も挑戦したのですが、やっぱり眠いのには勝てず、結局、何も伝えられずに朝になってしまいます。

昨日、途中で解らなくなってしまった宿題も母に教えて貰おうと思ったけど聞けなかったし、忘れてはいけない持ち物のことも、一晩寝たことですっかり忘れてしまい登校してしまいました。

やっぱり、担任の先生に怒鳴られました。
引っ叩かれ、蹴られたこともあった。
<学校の先生は何度注意しても毎日、同じように忘れ物してくる早苗に、可愛い顔していても、シブトイ女の子だと腹が立ったようです>

まだ、小さかったあの頃の私は、どうしらた良いのかという知恵もなく、同じ失敗を何度も、繰り返していました。
そして、その度に叱られ、叩かれることが怖くて、泣いてばかりいました。学校が終わったら母に逢いたくて必死になって泣きながら、走って帰ったことも、何度もありました。

でもやっぱり家に帰っても、家には母はおろか、誰もいない。
もう悲しくて私は、ランドセルを背負ったまま、膝を抱えて泣き続けました。


夕方に成り、少し落ち着いた頃に、もう酒乱の父が帰って来ました。

毎日同じような、酒乱の父の怒りのフルコースが始まります、

家では父親に叩かれ、学校では、先生に叩かれ。
私は、このまま、この世から消えてしまいたいと思うようになりました。

何で私は生まれてきてしまったのだろうと、何のために生まれてきてしまったのだろうと、思う日々が続くようになりました。

夜寝たら、明日の朝には死んでいますように…

そう神様に真剣に神さまにお祈りしていました」


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2018年9月21日金曜日

神様の遣い(1)


神様の遣い(1

前回は、この女性と私が鑑定を通して関わりあうまでのプロローグを書きました。

息子さんのご相談で訪れた彼女(仮名 早苗さん)は、息子さんが大学を卒業後に勤務した会社に、どうしても馴染めずに悩んでいました。そのことの話をいろいろ私に話してくれました。
そんな話の中で、早苗さんは自分の苦労話に、どうしても話が進んでしまいます。
私は、早苗さんは明るくてお喋りな女性なのに、余程辛いことを体験しているのだと感じました。
きっと、いろいろ話したいことが溜まっていると感じたのです。
私の興味も息子さんの鑑定よりも早苗さんの話に向いて行ってしまいました。


早苗さんが育った家は、小さな田舎町の路地のようなところに、家が身を寄せ合うようにギュウギュウに建て込んだところでした。

お父さんは荒っぽい性格で、お母さんもそれに負けない強い性格で、さらにそれに輪をかけるように、お姉さんも二人の両親の激しさを足したような性格の女性でした。
早苗さんが物心ついた時には、朝から晩まで家の中は常に騒乱状態という印象だったと語ってくれました。

お父さんは毎日仕事が終わって帰ってくれば、酒を飲んでは酒乱になって乱暴になって、その酒乱にお母さんは徹底的に刃向かい、最後にはいつも卓袱台(ちゃぶだい)がひっくり返り、その上に載っていたご飯やみそ汁、おかずが畳の上にぶち撒けられて、戦場のようになっていたと、早苗さんは笑いながら話してくれます。
私の小さい時も同じような光景を日々見て育ちましたから、その光景はリアルに思い浮かべることが出来ました。

早苗さんのお父さんは毎晩お酒を飲んでは、怒鳴ったり茶碗を投げたりと大騒ぎで、まだ45歳の早苗さんは恐ろしくて、ただただ泣いているばかりでした。お姉さんも絶対にお父さんの言うことを聞かないし、お母さんの言うことも聞かない強情な性格だったそうで、時には腹を立てたお父さんが、投げた茶碗がお姉さんの額に当たって血だらけになったとも話してくれました。
そんな家の中では、大暴れの酒乱のお父さんだけど、家の外での評判は良くて、ご近所でも大人しくて優しいお父さんと、「本当に羨ましいねえ」と云われていたそうです。
いわゆる、外面の良いお父さんでしたが、家庭内ではすべて自分中心で、家のことは何一つとしなかったようです。

早苗さんとお姉さんの世話は、お母さんが一人で行っていたそうで、何処かに買い物に行くのにも、お母さんはいつも二人の娘を連れて行っていたそうです。
しかし、お姉さんはお父さんに、そっくりの性格でお母さんの言うことは全く聞かず、買い物中も自分勝手で、勝手に何処かに行ってしまうので、お母さんは早苗さんにお姉さんの見守りを任せていたそうです。

お姉さんはお店で興味のあるものが有れば、すぐに持ってきてしまい、その度に早苗さんはお姉さんを制止するのですが、まったく言うことを聞かないばかりか、早苗さんの頭を拳で殴りつけてきます。
早苗さんは「おねえちゃん、だめだよ、そんな持ってきちゃ」

お母さんに姉さんの見守りを言いつけられているので、早苗さんは必至で泣きながら、姉さんを止めます。
結局は、早苗さんの言うことは聞かずに姉さんは欲しい品物を手に持ってお店を出ていこうとします。早苗さんが泣きながら大声で「おねえちゃん、だめだよ、おねがい」制止します。
その声を聞きつけたお母さんが走ってきて、姉さんを思いっきり殴りつけます。その勢いで床にひっくり返った姉さんは涙ひとつ流さずに、早苗さんを睨みつけながら立ち上がると、今度は早苗さんを思いっきりぶん殴ります。
ぶん殴られた勢いで、今度は早苗が床に吹っ飛ばされ、ひっくり返ってしまいます。
もう早苗さんは起き上がる元気もなく床で泣き続けます。

そんな早苗さんにお母さんは、「早苗! 何でお前は姉さんを観ていられないんだ、まったく役に立たない娘だ!」
お母さんは、姉さんの腕を掴むと、姉さんが持ち出した商品を戻しに売り場に戻ってしまいます。

早苗さんは床に倒れたまま、いつまでも床が涙で滑るほど泣いていました。


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2018年9月16日日曜日

神様の遣い 【プロローグ】


神様の遣い 【プロローグ】 


これからお話することは、数年前に私の所に鑑定相談に訪れた女性のお話です。
その女性は息子さんのことで相談に訪れました。
私のところには息子さんと一緒に訪れました。女性は見るからに30歳~40歳代の可愛くて優しそうな女性でした。でもこの女性の本当のお歳は50歳になったところです。

息子さんと一緒に鑑定室に入ってきた姿はまさに恋人同士に見えました。
仲良く手をつないで入ってきたのです。私はもしかして「マザコン親子?」って失礼なことを想像してしまいました。鑑定中も女性は、隣に座っている息子さんの腕にすがるような仕草をしています。
息子さんは終始ニコニコしています。


今回の記事は、この女性の人生についてお話したいと思います。
このお話は、とても長いお話ですから、複数回に分けて連載したいと思います。
この女性の幼少期から現在に至るまでのお話です。
この親子の表情からは、到底想像できない壮絶な試練の連続の、女性の人生についてお話します。


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2018年9月10日月曜日

悩んでいる人が対象です 


悩んでいる人が対象です 


私が静岡市で「紫微斗数」の鑑定を本格的に始めた頃は、まだ「紫微斗数って何ですか? 死人数っていう名前が気持ち悪いですね!」なんて、ビックリなお問い合わせをいっぱい戴きました。それもまだ34年前のお話です。
「シビトスウ」という名称すら、全く聴いたことが無い方がほとんどでした。


やはり世の中、SNSの時代なのですね。変化が早いのに驚いています。
あれから、たったの34年なのに、今では次のような、お問い合わせが増えました。
「紫微斗数で鑑定してくれる占い師さんを探して、ネットで検索したら宮崎さんが表示されたんで、連絡しました」


【紫微斗数】という名称を名指しで依頼されてくる方が非常に増えました。
中には、「キンテンで観て欲しいです」というストレートな方も少なくないです。

やはり「芦屋の田中宏明先生」の功績が大きいことを実感しています。

今更ながらに「紫微斗数」を専門に実践してきて良かったと思っています。
紫微斗数を78年前に学び始めた時から、絶対に「紫微斗数の時代が来る」と強く思って始めました。
結果的に、そうなりました。

紫微斗数を初めて学び始めた時に、最初の師匠の先生が「宮崎さんは、いろいろな占いはやらないで、紫微斗数を一本でやった方がいいね」と言われたことを、今でもハッキリ覚えています。
何故「紫微斗数を一本でやった方が良い」と言われたのか、その理由は今でも判りませんが、結果的に正解だったのだと思っています。


紫微斗数という名称が無名の頃からスタートした占術業でしたが、当初のご相談は本当に辛い悩みを持たれた方々のご相談が多かったです。
幸い、紫微斗数は問題と成っていることの理由が、判断できる命術でしたので、それは助かりました。
多くの方々を鑑定させて頂き、私自身も多くの学びを得ることが出来ました。


あちらこちらの教室で教えて頂いたことは大いに役立っていますが、それでもなお、実占鑑定で得られるご相談者さんからの情報は大きいものがあります。

蓄積した知識を100とすれば、教室で得られる知識は40ぐらいかも知れません。
あるいは、30かも知れません。命盤と照らし合わせて、ご相談者さんに現れている様々な出来事が命盤では、どのように現れているのか、これを突き合わせる作業は、これで良しということは有りません。
こういうことは、占いというより「統計的」に捉えようとしているのかも知れません。
元々は電気関係の技術者でしたから。
理論が先に有って、その上で実際の現象が如何なるものなのか、ということを学んでいくことと思っています。


最近は、鑑定のご依頼も少し様変わりしてきました。
もちろん、以前同様に辛辣なご相談は多いのですが。

悩みは無いけれど、どんな人生に成るのか知りたい。そういうご依頼も増えて来ました。

特に今年に入ってにわかに、「キンテン」というご指名が多くなりました。
「欽天四化」なら、どのような人生として現れていますか?
このようなご相談が、8月、9月で5人ほどご依頼戴きました。

欽天派の紫微斗数を学びたいという人も増えました。そういう時に私は「芦屋の田中宏明先生」をご紹介させて戴いています。


私の専門は、この占術業をスタートした時から、「困っている人に寄り添いたい」、そんな気持ちから始めたからです。
ですから、「当てて幾ら?」ということはやらないのです。
当てることより、悩みの解決に焦点を当てるようにしています。

悩みの原因を探るために「紫微斗数の命盤と理論」を使っています。
こういうやり方をしているので、あちらこちらの占い師さんを梯子(はしご)してきている方から観ると、まったく違う鑑定法と驚く訳です。

私は、電気技術関係の仕事をしてきて、占いには「異業種参入」です。占って貰ったことも有りませんでした。他の占い師さんが、どんな鑑定のやり方をしているのかも全く知りません。
唯一、20歳代に友達に連れられて霊感占い師さんの所に行ったのが一度切りぐらいです。

その時の鑑定結果は「あなたは、一生涯、何しても成功することは無いから、大人しく会社勤めをしていなさい」と言われたのを覚えています。
雑誌の占いコーナーを読んでも当たっていることは有りませんし、占いはインチキと長年思って来ました。でも、自分で覚えて鑑定してみると、これまでの人生はシナリオどおりなので、信じる気持ちに成りました。

私が鑑定に臨む姿勢は、これまでサービス業関係が長かったので、その姿勢で占い師をやっています。
奈落に落ちた50歳代から這い上がれたのも「紫微斗数」のお陰です。人生観も変わることが出来ました。
同じような悩みを持った方々にお役に立ちたい、今でもその想いは変わりません。


ネットで「紫微斗数 静岡」で検索すると、私が出てきますが、どうか本当に問題を抱えている方を対象にしていますので、試しに鑑定して見ようという方には、大したお話が出来ませんので、よろしくお願いします。


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宮立命ブログは引っ越しをします。

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