工業高校を卒業し地元の家電販売会社のサービス課に勤務が始まった。
社会人一年生で一人暮らし、何もかも初体験だった。
元々一人遊びをして育っていたので、実家を離れ一人暮らしは嫌でも、寂しくもなく、むしろ楽しかった。小さい頃から友人も少なく孤独を寂しく感じることは無かった。そういう育ち方をしたのだろうと思ったが、今になってみれば一人で居ることが好きだったといえる。世の中には友人が居なかったり家族が居なかったりすると耐えられないという人も居るが、逆に一人が一番好きという人も居る訳である。しかし、ここでちょっと考えてもよいだろう。もしかしたら、こういう一人が好きな人には生まれ付きの特別な精神的な何かを持っている場合もあるのだ。
相談に来られる人の中には、いわゆる「発達障害」という傾向を持っている人に「一人が好き」という人も多いと感じる。何かをするにも、誰かと一緒にするのは煩わしいとか思ったり、一人でするのが好き、という人で対人関係が苦手な人は、もしかして、そうなのかも知れない。
私は還暦過ぎる頃まで気付かなかったけれど「発達障害」であったと思う。
この「発達障害」が社会に出て、後に散々のシナリオの源であったと言える。
下宿の時には大家さんの家族が大変に煩わしかった。しかし、一軒家に引っ越してからは本当に一人になって、しみじみ一人暮らしに安らぎホッとした。
家電販売会社に勤務が始まり、直ぐに隣の席の先輩に虐められ始めた。
その先輩は私の隣に席に座っていては、私の一挙手一投足を観ていてはイチイチ文句を言い始めた。その時の先輩は、如何にも嫌なものを観るような目つきで眉間に皺を寄せて「その話し方は変だ」、「何でお前はそういう風なんだ」と云われるが、私には何の事を言っているのか皆目見当がつかない。
私はその先輩が嫌いではなかったし、仲良くしたいと思っていたので、先輩の気に入らないことを改めたいと思うのだが、私の何が悪いのか、何を改めれば良いのかサッパリ分からなかった。
そこである日私は先輩に聞いてみた。
「先輩、私。何かマズイですか? 何処を直せばいいですか?」
先輩は苦虫を噛み潰したような顔をしながら「お前、直せないだろう。いいよ」
「はあ?」
私は肯定して貰えたのかなと思ったが、先輩はその後も頻繁に苦虫を噛み潰した顔で「何だお前それは?」と云われ続けた。
「何だそれは?」と言われても何の事だからサッパリ?
だんだん私の気持ちは落ち込み始めた。
毎朝、会社に行ってその先輩の隣の席に座るのが恐ろしく嫌になっていった。
ついには家に帰っても先輩の苦虫を噛んだ顔が浮かぶようになった。
他の先輩に聞いてみたことも有った。
「先輩、俺どこか変ですか?」
「変じゃないよ、何故?」
「あっ、そうですか・・・」
他の先輩は何とも思っていないらしい、他の先輩は会社が終わった後に呑みに連れて行ってくれる人もいたくらいだ。
しかし、隣の苦虫を噛んだ先輩は、私の天敵になっていった。もう毎日がアレルギーに成りだし、その先輩を見るたびに私は過剰反応が起き出した。腹痛、冷や汗、動悸、下痢と始末は悪かった。
まだ入社半年の頃だった。
何とか苦虫先輩のところから逃れる算段は無いものかと苦慮していた矢先に、第一次オイルショックが始まり、会社は業績不振に陥り入社間もない連中に出向の希望を募りだした。
私の会社の出向は、取引先の家電販売店へ店員として出向することだった。
私は一番に手を上げた。
直ぐに希望は採用され、私は実家に近い家電販売店へ出向が決まった。
その販売店は、父ちゃん母ちゃん二人で営業してる田舎の電気屋さんだった。
<続く>
新・紫微斗数の鑑定ご相談は
宮立命公式サイトへ
ご訪問は下記アドレスをクリック
★★★★★★★★★★★★★★