小学校は自宅から子供の足で、徒歩30~40分ぐらいのところだった。
私の生まれ育ったところは、60~80戸ぐらいの家が集まった集落が、まるで蟻の巣の部屋のように固まって、あちらこちらに存在するような状態で、隣の集落へはちょっとした山や田畑を越えて一本道で繋がっている状態だった。
現在の街や集落は、集落と集落の間にも家が立ち並び、その境目は標識でも無ければ分からないことが多い。そんな現在の様子とはだいぶ違っていた。
私が通っていた頃の小学校への道中は、部落を外れるとちょとした山が有り、その山の急坂を登って行き、登りきった所から平らになり、その大地にまた部落が有った。
小学校の記憶で今も残っているのは、私の部落を外れた急坂の山の中で遊んだことだ。
小学校4年生の頃だったと思う。学校に通うのも飽きて、授業も嫌だったし、そんなある日やや遅めに家を出た私は、その山道の登りに差し掛かった。もう投稿する児童は誰も居ない、すでに学校に行ってしまった後だ。「俺は遅刻だなあ・・・」と嫌々道を登り始めて居たら、何やら山の中の木の枝がザワザワして誰かの声が聴こえる。不思議に思って山の上の方の様子を伺っていると、誰か私の名前を呼ぶ声が山の中から聞こえてくる。その声に呼ばれてヤブの中に分け入って行くと、なんと同級生の篠原が木の上に登って手なが猿のように枝を揺すっているのだ。
「篠原、お前は何やってるだぁ?」
「孝宏ちゃん、俺は昨日もここで一日遊んでいた」
「え~っ、学校へは行ってないだけ?」
「誰も知らないよ」
そんなで、私もその山で一日を過ごすことになった。
しかし、次の日も、その山で過ごし、結局は3~4日は登校時に山に入り二人で夕方の下校時まで過ごした。5日目のお昼頃、二人は木の枝にぶら下がり、キャッキャと騒いでいた。
と、突然山の下から女の人の叫ぶ声が聞こえた。山の下の道からだった。
「あんた達、そこで何をしているの?」
篠原は「誰だ?」
二人は声を潜め動きを停めた。
やがて、藪をかき分け誰かが山の中に入ってきた。
「あんた達、何で学校に来ないの?!」
小学校の担任の先生だった。
「あんた達、ずっと毎日ここで遊んでいたの?」
私は木を降りて上目遣いで頭を下げ頷いた。
「まったく困ったもんだねえ、あんた達の家に行ったら、お母さんは毎日うちの子供は学校に行っていて、夕方には帰ってきていたって言うから、いったい何処へ行っちまったのかと、先生はもの凄く心配していたんだよ」
私と篠原は木から降りて二人並んで頭を下げていた。
「さあ、今から、あんた達の家に一緒に行こう」
私は先生と自分の家に行った。母親が家に居て、先生から事情の説明を聞いた。
母は大して驚くでもなく「あら、そうだったんですか、先生に心配をかけてしまったねえ」
篠原が自分の家で、どれくらいお咎めを受けたかは知らないが、私は先生が帰った後も母はべつに怒ることもなく、「山の中は楽しかったかい?」と聞いてきた。
「うん、毎日面白かった」
「でも、もう辞めておくれよ」
私は頷いた。
<続く>
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