2016年2月6日土曜日

試練に感謝

試練に感謝

還暦を過ぎると、自分の人生を振り返って観ることが多くなりました。
このような生業を天職と感じるようになったのは、普通では体験できない数多くの試練、波乱、破天荒な人生を体験させて戴いたからと、今では感謝の念でいっぱいです。
しかも、数多くの試練は自分でも意識できない魂から発するものであったということも紫微斗数という命術に触れることが出来たからと感じています。と、同時に「神理」を学ぶ機会にも恵まれ、宿命という現象の仕組みを知ることが出来たからと感じます。

人は目の前に起こっている「現実」に一喜一憂し「心」を振り回されています。
喜ぶ、泣く、怒る、妬む、恨む、すべて「心」が決めています。その心は自分で意識できる唯一の自分のものです。その「心」が自分を行動させ「現実」という「結果を」を生んでいます。では、その「心」を変えれば「良い現実」を起こすことも可能な筈ですが、これが簡単には出来ない。短気な人に「優しく気長に成りなさい」と言っても簡単には出来ない。「じゃあ努力してみる」と言って悔い改めても、しばらくして、ふとしたことから無意識のうちに「カッと」成ってしまう。何故なんでしょう?
それは「心」の奥に「魂」が有るからです。「魂」は普通は自分では存在すらも意識できない物のようです。持って生まれた「魂」は自分の物であっても自由に成らない物なのです。

これは身体もそうですね。誰もが「身体は自分の物」と思っているようですが、「神理」では神様からの「借り物」です。その証拠に、自分の身体で有りながら、何故忍び寄る「病魔」に気付かないのですか? 無言の臓器といわれる「肝臓」は手遅れに成るまで悲鳴は上げません。自分の肝臓なのに、何故分からないのですか?
病気に成ったり、怪我をしても自分で何故、治せないんですか?

自分の物でないからでしょう。修理不能なまでに壊したら、代わりの身体は買うことも、貰うことも、借りることも出来ません。出来ることは「神様にお返しすること」だけです。
身体を神様にお返しすれば、あなたの「魂」は居場所を失います。人間世界、この世は、現実の世界です。目に見える物だけが相手にされる世界です。形を失ったあなたの「魂」は誰にも相手にされなくなってしまいます。

この世の「魂の居場所」はあなたの「身体」なのです。身体は「借り物」大切に長持ちさせるように使わさせて戴かなくては成りません。

そして、「心」を意識できない所から操っているのが「魂」です。「心」を変える努力をしても直ぐに元に戻ってしまうのは「魂」が変わって居ないからです。
「魂」こそ、あなたの根源で人生を決めている根源と思います。
紫微斗数という命術は目に見えない「魂」を観ることが出来る素晴らしい命術と思います。
自分の命盤からは自分の「魂」が観えますが、人様の命盤からは人様の「魂」が観えるのです。試練の多い人には「魂」に問題が有ると言えます。「魂」は「心」を操り、現実を変えます。試練が多いと感じたなら、「魂」を意識することです。と言っても自分では感じることが難しいので「紫微斗数」で観ればよいのです。そして「魂の研鑽」をすれば人生は変化して行きます。自分の器も意識できるようになります。身に余る富は人のために使えば「徳」という「魂と共にあの世にまでも持っていける」ものを得ることが出来ます。
試練は、本当は自分自身の「魂」を高いレベルに上げられるチャンスなんですね。
多くの試練を体験すれば、「それを活かすことによって多くの人の為に成る」ということです。それが強いては自分の為にも成るという因果関係に気付いたのです。

改めて試練に感謝です。


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