2016年12月14日水曜日

紫微斗数は「あちらの世界から…」

紫微斗数は「あちらの世界から」 

先日、友人から本を戴きました。




この手の本は信ずる人と、まったく「オカルトだ」といって無視する人に分かれますが。私は仕事がら、この手の本に大変に興味が有ります。といっても私には霊感は無いと思っています。しかし、これまで学んできた「神理」によって自分の人生を大きく見直させられました。
その結果、不思議な事が多くなったのは事実です。

まさかの大逆転の人生に成りましたし、奈落に落ちて「人生ここまでか・・・」と思い詰めるまでに至ったのに、「神理」を学び、実践し始めたら「貴人」との出会いから本格的に占術の世界に入り、ついには生業となり、専業にもなりました。
不足を感じなく成り、足りるを知りました。だからといって贅沢が出来るように成ったのかと言えば、そんなことは有りません。贅沢に憧れるとか、人を羨ましいとか、そのような感情が消えてしまったのです。金銭欲、色欲、いわゆる「物欲」が消えたのです。「欲が消えると不足も消える」のです。しかし人間として「物質世界」に生きるのには最低限の「物欲」は必要です。それは「食欲と生きる欲」です。

でも、その欲は意識しなくとも、「人としてやるべき事」をやっていれば整うと感じました。欲を出し過ぎれば欲に苦しむことにも成ります。
そして、それが「不足を生み、不幸感を生み」悪循環が始まります。
常に満たされない人は、何が満たされていないのかジックリ自分の胸に手を当てて考えてみるのも良いですよね。満たされていないものは、「物か愛情か」

「死後の世界は愛の世界」と語られています。「死後」という言葉が悪いのですね。
今の世の中「死=終わり=絶望=敗北=絶対に避けたい」ということでしょう。

動物は自分の死期を自然に悟り、自然に受け入れています。ペットを飼っている人はご存知と思いますが、動物は死期が迫ってもパニックになったりしません。
むしろ静かに受け入れる準備を始めます。
死は昔から言われて来たように「旅立ち」と思います。では、何処に旅立つのか?
目に見える物質世界から、目に見えない物質の世界へです。
科学的に言えば、素粒子の世界かも知れません。科学ではほんの僅かしか解明出来ていない広大な素粒子の世界、つまり宇宙そのものであり、人間の身体を構成している最小元素でもあります。つまり、広大な宇宙も人間の肉体の最小単位のミクロの世界も同じものということですよね。
死というのは、物質の肉体から、目に見えない素粒子の魂が離れて、元々有った場所に帰るだけの現象と思います。物質の肉体は死とともに微生物によって分解され土に還って行きます。(ふしぎな記録 参照)

魂は「霊魂」という素粒子の集団となって元の場所に帰るのであって、不滅ということです。何故なら肉体は微生物で分解されますが、素粒子は分解しないからです。素粒子そのものが物の最小単位ですから不滅という事に成り、霊魂も不滅という。そのような解釈が、その分野の研究者の間では考えられています。

そして、面白いのは「人はこの世に生を受ける時には、一生のすべてのシナリオが決められて降りてくる」ということです。もちろん「帰る年月時刻」も決められているというのです。その人生の青写真(予定表)を普通の人は知ることが出来ません。一部の霊能者には判るそうです。そのような方々が「霊感占い」などをされて居るのでしょう。

私達、「命術」の占いに従事する者は、「人生の予定表」を解読する方法を学んで居る訳です。予定が決まっているから、過去の出来事、未来の予定が「紫微斗数の命盤」で解読出来る訳です。これに霊感は必要有りません。

「あちらの世界(霊界)」では、生まれる時に人生のシナリオが設定されて母親の胎内に入って来るそうです。どんな家庭環境、どの両親、といいうことまで決められて来るそうです。それは何のためか? 魂のレベルを上げるため、霊格を上げるためだそうです。

紫微斗数という「命運分析」のシステムは、現在の科学やコンピューター技術を使っても理論の分析は不可能なほど高度な物です。

「命盤の解析」ならば将来はコンピューターで解析して「人生の予定表」を解読作成出来るように成るでしょう。今、占い師がやっている「命盤」から人生を解読する事はコンピューター化 出来ると思います。それはロジックがすでに確率しているから、後はソフトウェアに作り上げればよいのですから。

しかし、命盤を作成する理論は判っていません。判っていることは「陳希夷」という人物が考案したとされる紫微斗数の命盤を作成する事です。この作業は「決められた手順」で作業を行えば、誰がやっても同じ命盤が作成出来るという大変に便利な手順です。

では、この「手順」を人間が考案したのでしょうか?
陳希夷(伝説の人物)という人が、どのような論理で命盤作成の手順を考案したのでしょうか。とても発明できる代物ではないと思いますが。
生年月日・出生時刻で、人の一生の出来事と時期を解読出来る理論は、何処から もたらされたのでしょう?

作成手順は確率していますが、その手順を何も無い所からどうして考え出せれたのでしょう? 

世の中に天才と云われる人たちがいます。凡人が考えも付かなかった事を「閃き」で考案する人たちがいます。その「閃き」とは霊界からの「啓示」では無いのでしょうか?
「あちらの世界」では、物質界のことは全て判って、「見抜き見通し(ふしぎな記録)」だそうですから。

先日、師匠 田中先生もおっしゃっていましたが、紫微斗数は「あちらの世界から降ろされた物」と台湾の田中先生の老師も、そのようにおっしゃっていたそうです。

私も、そう思っていましたが、改めて「紫微斗数」の不思議を思い知りました。

天の決めた「人生のシナリオ」を変えるのは容易でないのも納得出来ます。
この世の艱難辛苦は「天が決めた修行のテーマ」ということに成りますから、それから逃げ回っていたのでは課題を克服することに成らない訳です。
課題を達成出来なくとも、課題に向かうという姿勢が大切なのではとも思います。

その課題に立ち向かえるよう、天は人間に「知識と欲と金」を与えて下さったのだけれど、本来の課題を忘れて道具の「知識・金・欲」の方に夢中になってしまっています。


世界中が混沌とし始めたのも、人類に本来の目的を気付かせるためなのではと思います。それでも気付くことが出来なかったら、人類は一度リセットされると「神理」は説いています。(ふしぎな記録 参照)

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