2015年3月20日金曜日

人は操り人形?

様々な事象を鑑定していて気付きがあります。

「何でこうなってしまったの?」って、鑑定に来られて過去を振り返り後悔する場面が時々あります。しかし、命盤の流年の流れの中には、しっかり、「そうなってしまう」と現れています。

過去を振り返れば、行動してきたことが命盤に、まるでタコグラフのように記録されています。
いや、記録というより、これは生まれた時に決まっていた事ですよね。命盤ですから。

紫微斗数の命盤は、生まれた時刻から作成出来ますから、生まれた瞬間には一生のストーリーが決まってしまっているんでしょね。

ここで、反論が起こるでしょう。
「そんな事は無い! 運命は変えられるものだ!」

そうです。運命は変えようと思えば、多少は変えれるでしょう。いやもっと変えられるかも知れません。事象にもよりますが。
それは、運命のストーリーを知っていたら変える努力は出来るでしょう。と、言うことです。

どんなストーリーになっているのか知らなければ変えようがないですよね。
変えたつもりが、ストーリ通りだったっていう場合も有るんです。

なんか、タイムマシンの話みたいになりますが、鑑定していてそう思います。

例えば、誰かと利害のことで争いになったとします。
その相手は穏やかな人でした。
どうします?
自分が不利にならないように、誰でも行動するでしょう?

ところが、ストーリー(命盤)は、訴訟に勝つことによって、後々、その相手から激しい攻撃を受けることになっていて、命を落とすような怪我を負い、その後の生涯は身体障害の人生になると判っていたら、その争い事は避けたでしょう。その時に負けを取って、その相手とは係ることを避けるのが最良の方法と分かったでしょう。

こういうのが、運命を変えることと思います。

しかし、そんなことまで考えることは不可能です。
しかし、鑑定していると、そのような結果を得ることが有ります。
ただ、変える行動は難しい事が多いです。例えば、他の選択肢を選べない状況だったりとか、命盤から、その後の事象に大凶の象意が有るけれど、変える行動は今の生活を放棄するような事だったりする訳です。

将棋みたいにも感じますね。王手にあったみたいに。

逃げるマス目は空いているけれど、どこに逃げても王手になってしまう。

もっと早くに気づけば逃げ道が有ったのに。

人は運命の操り人形かも知れません。

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