低運気の苦労は無駄ではない
前の記事では、「成功は運が味方してくれないと成就し難い」と書きました。
では、低運気の努力は無駄なのか、というと、そんなことは有りません。
たとえ成功しなくても、様々な体験、特に失敗や苦い体験は大切なものです。自分自身を振り返っても、60年の辛苦は、今、紫微斗数で見れば、まさにシナリオ通りであり、成功するのは至難の技のような時期でしたが、でも、成功できないからといって何もしないでブラブラしていたら、今の私は無かったと思います。
当時はシナリオなんて知らなかったから、いつかは成果が出るのではと必死で生きて来ました。でも途中で試練の期間が長すぎて嫌になって挫折もしました。散々の思いもしました。でも今、大吉が巡り始めて、あらためて60年の苦労の有り難さをヒシヒシと感じます。
当時は人の何十倍も苦労して、なんて損な人生なんだろうと神様や仏様や運命を恨みました。
しかし、今は、その苦労につくづく感謝しています。
また、幸運期って、なんて便利なものなんだろうと思います。大して努力しなくても良い結果に恵まれます。
まあ、どんな苦労も決して無駄には成りません。
金を払っても買えない苦労は山ほど有ります。それを無料で山ほど体験させて貰って、感謝、感謝です。
今、まさに苦労のどん底に居ても、絶対に無駄には成りません。
ダダ一つアドバイスするならば、恨み、憎しみ、短気などは持たない方が得策です。これらを持つと、もっと苦労の体験をさせて貰えますから、それはそれは大変です。
どうぞ、参考になさってください。
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