天職に出会う
史上初の最年少棋士が、今 最年長の棋士として引退されました。
それは加藤一二三九段、プロ棋士ですが、ご自身のTwitterに次のようにツイートされていました。
『10歳のとき新聞の観戦記に触れ将棋の本質を悟ったわたくしが、天職である将棋に、最善の環境の中、生涯を懸け全身全霊を傾け打ち込むことができましたのは、御支援賜りましたスポンサー、将棋ファンすべての皆様おひとりおひとりのおかげに他なりません。幸せな棋士人生をありがとうございました』
好きな事に早くに出会い、そしてただ一心にその道を突き進み、今 史上最年長というような年齢までトップで来られたことは本当に幸せなこととお祝い申し上げたいと思います。
加藤九段はとても個性的な方です。命盤を調べては居ませんが命宮に「生年化忌星」が有っても不思議ではないと思います。生年月日は、1940年1月1日と有りますが、んん? 昔は年末に生まれたら縁起を担いで元旦生まれにした場合も少なくないので、果たして如何なものか、真偽の程は判りません。
まぁいずれにしても命盤も個性的と思います。そもそも占い師に成る人の命盤も変わっている人が多いですから。
話を戻しまして、天職に早くに出会えるというのは改めて幸せと思います。
鑑定を通して思うことは、天職が有っても、その天職に出会えていない人も多いですし、天職がいったい何で有るのかも気付いていない人も多いと思います。
私自身のことを考えても、自分の天職なんて知りませんでした。中学生の頃まで不思議な事が大好きでしたので、いつ知らずにラジオや電波に興味を持ち、高等学校は電子科に行きたいと思うようになりました。しかし、好きな事以外は見向きもしない変わり者でしたから、学校の成績は後ろから数えた方が早いし、近くの工業高校に電子科は有りませんでしたし、電子科が有るのは少し遠い、工業高校では名門の高等学校でしたから、最下位の成績の私には叶わない夢でした。
したがって大変な思いで、近くの工業高校の電気科に何とか這って入った次第です。
もちろん高校に入ってからも好きな事にしか目が向きませんから、期末の単位が取れずに進級も無理などと担任の先生に、年中呼び出されていました。
卒業もやっとの思いで這い出し、近くの家電販売会社のサービス課に入社して、その後は転職を繰り返し、電気、電子、コンピューター畑を26歳まで努めました。
26歳から脱サラし家電品の修理や販売の仕事、しかし事業は一向に業績良くならず、ついには家庭電気製品の組み立てなどの下請けをして40代まで達して、とうとう倒産。そして離婚。
その後は流転の生活が続き、生涯貧困の日々は親の代から私まで引き継ぎ、家族にも辛い思いをさせました。
流れ流れて、還暦に達してさらに奈落に落ち、もうこれまで、という時に人生の大転換に遭遇、本当に命の恩人という人に出会い、人生が180度の大転換に成りました。
今思えば、その時に「天職」に出会えたのだなあと思います。
天職に出会えてからは一気に生活も急上昇し、運気にも恵まれ幸せな日々が送られるように成りました。若い頃に天職と思っていたことは、本当は天職では無かったのです。好きな筈の電子関係の仕事は時代の技術革新に追いつきて行けず、いつしか取り残されるようになって居ました。
でも、60代に出会った占いも天職などとは最初は思いもよりません。
天職と思うように成ったのは、一応プロとして再スタートして、紫微斗数の「業報因果」に気付かされ、多くの方々の鑑定の機会に恵まれた事と、不思議なご縁で仕事の量にも恵まれるように成りました。大して経験が無いのに、何故かスムーズに自分の中に入って消化されていく様を不思議に思いました。
天職とはいくら苦労しても辛いとは感じません。時には寝食を忘れて時間を過ごしてしまうことも有ります。官禄宮に「生年化忌星」のせいでしょう。仕事をやり過ぎるときがあり、これは結婚したら夫妻宮を尅します。
ずっと若い頃から仕事には夢中になる傾向が有りました。思い起こせば個人プレイの仕事は良いけれどチームワークで行う仕事には他の人達と問題が起こりやすかったです。
こんな人間は会社勤めには向きません。自分でやるのが良いです。
もし、仕事で何が向いているのか判らなかったら、じっくり考えて観るのも良いと思います。
向いていると思っていた事が、実はそうでも無かったりするのです。自分の魂の囁きに耳を傾けてみましょう。
紫微斗数の「業報因果」に耳を傾けましょう。
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