2017年9月10日日曜日

改めて思う人生のシナリオ

改めて思う人生のシナリオ

先日、あまりお付合いは無かった家でしたが告別式に行ってきました。
お付合いが普段あまり無かったことと、亡くなった方が発症して入院療養を始めた後で、私がその家の近くに転居してきたものですから、その家の事情もよく知りませんでした。
ご近所ということでお葬儀に行って来ました。


亡くなったのは、その家の奥様でした。
告別式の最後に喪主のご主人からご挨拶が有り、奥様の闘病生活のご報告が有りました。

それによると、奥様が発症されたのは45歳だったそうです。「脳腫瘍」を発症されましたが、手術などはされずに抗がん剤などでの病魔の進行を抑える治療を選択されたそうです。
そのため病気の進行を一時は食い止めたようです。家族とお話も出来たし、出歩くことも出来たようです。
「その内に治るだろう」という期待も有ったと思います。
しかし、発症から20年の闘病生活の末、65歳で亡くなりました。

脳腫瘍というと簡単に手術で取り除くことも出来ない部位ですから、本人も家族も迷い悩んだと思います。脳腫瘍に関しては、癌が末期まで進行すれば話も出来なく成るでしょうし、身体を動かすことも出来ない場合も多いようです。あるいは植物人間状態になってしまう場合も有るようです。

その奥様の場合は、亡くなるまでに20年という年月が有ったのですから、最後の数ヶ月ぐらいが厳しかったのでしょう。言い換えれば20年近くは、奥様と家族は会話も出来たので救いだったのかも知れません。でも永い永い闘病生活です。


もし、仮に発症時に手術をしたならば、そしてその手術が成功出来なかったら、術後には植物人間になってしまったかも知れません。
そして余命も大幅に短くなって20年という寿命は無かったかも知れません。

本人もご主人も家族も、45歳の若さで脳腫瘍が出来たとは、「何故、ママに癌が!」、さぞ「運が悪かった」と思われたことと思います。その時、手術をして良かったのか、またやらずに20年の闘病が良かったのか、どちらの選択が良かったのかは、多分誰にも分からなかったし決断にも迷ったと思います。
まさに「神のみぞ知る」ということでしょう。


しかし、奥様の命盤には、「必定」として、「45歳で脳の腫瘍発症」と有り、二度目の「必定」が65歳で訪れて旅立たれることに成っていました。


誰も奥様の人生のことなど知っている人は居なかったのですから、ご主人も共に白髪に成るまで連れ添えると思っていたでしょう。また、発症の時に手術の可否も迷われた末の選択で有った筈です。
迷いに迷った選択でも結果的には奥様の人生はシナリオ通りだったという訳です。

言い換えれば、生まれた時には、すでに奥様の人生の出来事も時期もすでに判っていた事になります。
そして、迷いに迷った選択もシナリオに定まっている選択をされたということです。

もし、このシナリオを発症前の若い時期に知る機会が有ったのなら、人生はどのように変化していたのでしょう。もしかしたら、紫微斗数で鑑定する機会など与えられないシナリオだったのかも知れないです。

「必定」とは、そういう機会も与えられないのかも知れません。


ただ、今になって言えることは、発症の時期も亡くなる時期も決まっていたということだけです。

当然、ご主人の命盤も同じシナリオが定まっています。三人の娘さんの命盤にも同じことが・・・。


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