2017年9月8日金曜日

母の人生 ②

母の人生 ②

母は、最初の離婚で東京下町の暮らしから離れて実家に出戻った訳ですが、当時は出戻りの娘が実家に居るということは世間体が悪く、実家にずっと居ることなど許されなかったようです。
母の父親は次の再婚先を直ぐに探していたようです。
そんな時に、どんな縁が有ってか、現在の私の実家に嫁いで来たのです。


そこはバスも通っていない田舎でした。
嫁ぎ先となった私の生まれた家では、父は先妻に幼子を残され先立たれていて、お婆さんとお爺さんと父と二人の子供(娘と息子)の四人暮らしの百姓家でした。
お婆さんは非常に厳しい正確で神経質で短気だったようです。お爺さんの方は若い頃は職業軍人で婿入りでした。性格は穏やかで温厚で少々の事では動じない性格のようでした。
短気のお婆さんと呑気なお爺さん、性格は真逆でした。家業の百姓のことはお婆さんが仕切っていたようで、お爺さんはあまり口出しをしなかったようです。


母の新しい夫は、お婆さんの性格を引き継いていたようで神経質で短気でしたが、外面は真逆で大人しく口数も少なく真面目に糞が付くくらいに几帳面で、冗談なんて誰も聞いたことが無かったようです。しかも姉妹は多くて唯一、男として生まれた夫は一家を支えなければ成らない重要な存在だったのです。
でも幼少期はだいぶ甘やかされて育ったらしいようです。それは命盤の行運で判りますね。
唯一の一人息子ですから鬼のようなお婆さんでも、実の息子は目の中に入れても痛くないほど可愛かったのでしょう。
よくあるのが、一人息子に母親がいつまでも引っ付いて「子離れできない母親」のパターンだったのでしょう。このような息子が結婚をすると妻よりも母親の方に引っ付く傾向が出やすいですね。
今で言う「マザコン」かも知れません。

夫の母親は早くに亡くなったようです。



私が生まれた時の母の年齢が36歳で、母は再婚後に私も含め3人の男の子を授かりました。長男は私より10歳は上ですから、逆算すると母が再婚で父の所に嫁いだ年齢は26歳ぐらいという事になります。
其の時には、お姑婆さんは居ました。でも私が生まれた時にはお姑婆さんは亡くなっていましたので、お爺さんの年齢などから推測すると、お婆さんの亡くなったのは、母が嫁いで来てから56年後ではないかと思います。私の兄たちは、ほぼ年子で、私より8歳ほど離れていて、子供なんて忘れた頃に私が生まれたようです。それも父親が予期せぬ妊娠で。


父には先妻の娘と息子がおり再婚時には10歳ぐらいだったようです。
母はかなり厳しい環境の中へ嫁いで来たようです。
今のように嫁ぐ本人の意志などまったく考慮されない、猫の子をやり取りするような時代でしたから仕方なかったのでしょう。

父と母の命盤を比較すると、母の方が相当に厳しい人生ですけど、よくもまあ耐えたと感心します。父は82歳、母は93歳まで生きました。父は母より5歳は年上でした。



母が再婚で嫁いで数年は、夫が横浜の客車の大工仕事に行くことになったので、母も一緒に横浜に住みました。その時はいわゆる新婚生活で先妻の二人の子供は実家に置いてお爺さんとお婆さんが面倒を観ていました。母にとってこの2年ほどが一番幸せだったそうです。
夫は優しく大人しく短気なところは微塵も無かったそうです。夫は一日の仕事が終わった後には必ず手土産に寿司折り弁当を母に買ってきてくれたそうです。

横浜新婚生活で再婚後の最初の長男が誕生し、さらに1年ぐらいして第二子の次男を身籠ったようです。
そして、二人の息子を授かった頃、実家から親が(お姑婆さん)が弱くなったので田舎に帰って来いと催促が有り、夫と母は二人の幼子を連れて実家の農家に引き上げてきました。



田舎に帰ってからは生活が一変しました。毎日がお姑婆さんの監視下に成り常に厳しい目が光、母にしてみれば想定外の文句や小言が浴びせられ、もともと大人しく忍耐強い母は言い返すこともなく黙って居るものですから、短気の婆さんからすれば益々腹が立ったのでしょう。ついには手が出るようになり、終いにはお婆さんが手にしている杖や農具で殴りつけることも日常になったようです。
そんな状態でも夫は、何一つかばってくれることは無く、母はただただ耐えるのみでした。

母は、その時思いました「先妻が早死したのも無理は無い・・・」と。
「自分は何が有っても死ぬまい、意地でもこの婆さんより長生きしてやる」そう誓ったそうです。

そんな地獄の日々でも、夜になると夫婦は部屋を共にして休むことが出来ました。
ただ、あまり広くない一部屋に先妻の子供が二人、母の子供が二人、合計6人が「川の字の如く」になって眠る訳です。

父もまだ若いですから、男の生理的欲求は溜まります。夜な夜な子供たちが寝付いた頃に母に覆いかぶさってきます。しかし、この頃からの母は父に対する気持ちが少しずつ離れ始めていました。それは日中の厳しい労働と婆さんの仕置が原因です。
それでも夜の努めは女の義務と耐えて居ましたが、ある夜の最中に母がふと目を開けると目の前に覆い被さるように4つの目玉と目線が合い、母は仰天しました。

暗がりでよく見ると、それは123歳にもなる先妻の娘と息子が起き出して正座して手を付き、四つん這いになり、母と父の営みを観察しているのです。母は父を激しく払いのけると何か激しく罵ったようですが、何を言ったのかは記憶に無かったようです。



そんな事が有った翌日の夜から母は自分の実子二人を連れて離れの家で寝るようになりました。

父は、それ以来二度と母の肌に触れることは無かったようです。


<続く>


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