2020年2月11日火曜日

第五運の出来事(音楽活動)

■第五運の出来事(音楽活動)

第五運の前回までの記事


■オカリナの演奏活動
■オカリナ講師の活動

すでに第五運の記事 プロローグでも記述したとおりに、この大限では大限命宮に【化科】が巡り、【化科】の持つ作用が起こりやすくなっています。
それは芸術的なこと、色恋、遊び、学びなどです。その象意の一つである芸術的な活動が活発になったことで記述します。
大限遷移宮にも【化禄】ですから社会活動での人の縁も多く生じる訳です。ただし、この大限遷移宮は「破格」になっていますのでトラブルの要素を含んでいると思って良いのです。

第四運(3544歳)で離婚し、その寂しい時期にテレビで宗次郎のオカリナを聴きました。その哀愁の有る音色に魅了されオカリナを吹いてみたくなったのです。
楽器屋さんに行くとオカリナを売っていましたが、オカリナの演奏方法については楽器屋さんも詳しいことが分かりませんでした。そこでオカリナ教本を複数購入して独学で演奏を学び始めました。オカリナと云う楽器は吹けば誰でも音は出ますが、ドレミの音程となると正確な音程を出すのは難しい楽器です。
いわゆる「閉官楽器」という仲間は、吹く息の強さで音程が如何様にも変わってしまうのです。

まったく感どころが不明のままの練習で、オカリナの特性を身に着けるまでは、ずいぶんと遠回りしました。最初は楽器が不良品かと思う程に音程が悪かったのです。
そのため、いくらオカリナを買い替えても音程は変わらなかったのです。

それでも1年以上の独学の末に何とか演奏が出来るようになりました。
アパート住まいでしたから、近所迷惑を考えて練習は河原や野原に出掛けて繰り返し練習しました。

そして、オカリナは歌を唄うような気持で吹くと綺麗な音が出ることに気付いたのです。
メロディーを演奏するのですが、必ず歌詞を思い描きながら、情景を思い浮かべながら演奏すると、想いが聴く人に伝わると感じ始めました。

感どころを知ってからはメキメキ上達し少しは自信がつき、母が入っている老人ホームで定期的に演奏をさせて貰うことになりました。
演奏を聴いてもらう対象の人が高齢者なので、その高齢の人たちが幼少期、青年期に馴染んでいた曲目を中心に演奏しました。

そんな昔の曲目は楽譜が有りませんから、図書館などで探して来ました。ほとんどが童謡、軍歌、唱歌でした。今では聴くことはない曲目ばかりです。
今の私は高齢者ですが、私の同年代の人で軍歌など知っている人は居ません。
童謡も唱歌も知っている人は少なくなりました。時代は流れているのですね。


老人ホームで毎月定期的に演奏している内に、たまたまそういう時に老人ホームを訪問している関係者の耳にとまり、他の施設でも演奏して欲しいと依頼さるようになりました。
やがて評判が広まり県主催の障害者の集いや大会、福祉協議会でのイベントにも参加するようになりました。
最終的には市町村のお祭りやイベント、商店街のイベントなどにも声が掛かるようになったのです。演奏は90分程で2万円程度の謝礼も戴けるようになりました。
トークを交えて10曲程度を披露する訳です。
やはり運勢が良い時には、このようなチャンスに多く恵まれます。

ただ、これらの演奏で困るようになったのがオカリナ以外の伴奏が居なかったことです。
そこで、知り合いのギター教室の先生にギターの演奏を習い始めてギターも演奏が出来るようになりました。
弾けるようになったギターで事前に伴奏を録音して、当日は自前のギター伴奏に合わせてオカリナを演奏するスタイルが定着しました。
そのための音響機器にけっこうな高額の費用も費やしました。
財帛宮の【化科】や【向心力CD】がそれを示しています。
また財帛宮に【化科】は好きな事、趣味などで金が稼げると観ても良いのです。
また、この大限では大限官禄宮に【化権】ですから、このような音楽活動でも大きな官禄宮のプラスの作用が現れます。

演奏活動が活発する中で、今度はいつもオカリナなどを購入する楽器店から音楽教室や楽器教室でオカリナの講師を依頼されるように成り、毎週定期的な教室を持つようになりました。さらにはJAのカルチャー教室でもオカリナ教室を持つようになりました。
本業は新聞販売店の仕事ですが、収入は相当な高額所得になりました。
そして充実した多忙な日々を送りました。
当時の私は音楽活動でも一生涯暮らしていけると思うようになったのです。

しかし、この至福な期間に暗雲が垂れ込め始めました。
この第五運の半ば頃に両手の指先に違和感を覚えるようになりました。
その違和感とは、朝起きると両指がこわばる、親指以外の両手第一関節が熱っぽくて痛みを感じるようになったのです。
やがて、この痛みは日を追うごとに激痛に変わって行き、日常生活にも支障が出るようになったのです。
もちろん、楽器の演奏は出来なくなりました。新聞の仕事にも支障が出ました。

整形外科を訪れると、「へバーデン変形結節症」と診断されました。
原因不明の難病で不治の病でした。女性が罹る病気です。
私の命宮には「太陰星」ですから、女なのか?
確かに女性っぽい所があると自覚はありました。しかし、不治の病の難病とは・・・。
運命を呪いました。
この難病のおかげで音楽活動を諦めるしかありません。高額の出費投資の音響機器や特注のギターなど、悔しさのあまり楽器など知り合いに無償提供してしまいました。
そうしないと諦めきれなかったのです。

期待していた人生の夢が打ち砕かれ、この大きな挫折で自暴自棄になったのです。
この頃から姚花の運勢に溺れ始めたのです。異性関係が激しく乱れ何人もの女性と多く関係しました。
そして後ろ指さされる奈落に落ちて行くのです。
まさに人生のシナリオを知らなくて、悪いシナリオどおりに道を踏み外していきました。

続く・・・


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